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西郷隆盛と大久保利通

維新ふるさと館の1F、英雄への道のコーナーでは、各々の額に触れると、西郷隆盛と大久保利通の声を聴く事ができます。

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維新ふるさと館の1F、英雄への道のコーナーでは、西郷隆盛と大久保利通について学ぶことが出来ます。

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西郷隆盛と大久保利通を通して薩摩人の気質や奥深さを体感できます。

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西郷隆盛

文政10年12月7日(1828年1月23日)生まれ。明治10年(1877年)2月25日に「行在所達第四号」で官位を褫奪(ちだつ)され、 明治10年(1877年)9月24日)に新政府軍の城山総攻撃のなか西郷が被弾しました。西郷隆盛は、傍らの別府晋介を振り返り「晋どん、もうここらでよか」と言い、東の方を向き明治天皇に拝礼し別府晋介の介錯により生涯を閉じたと言われています。維新の十傑の1人で、薩摩藩の盟友大久保利通、長州藩の木戸孝允(桂小五郎)と並び、「維新の三傑」と称されています。
額を触ると西郷さんの声が流れます。西郷さんは、身長178cm、体重は108kg~120kgだったそうです。当時にしてはかなり大柄でした。現代でもかなり恰幅がいい方です。

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大久保利通

文政13年8月10日(1830年9月26日)生まれ、明治11年(1878年)5月14日に、石川県士族の島田一郎・長連豪・杉本乙菊・杉村文一・脇田巧一、島根県士族・浅井寿篤により紀尾井坂(東京都千代田区紀尾井町)にて暗殺されました。享年49〈数え年〉、満47歳でした。維新の十傑の1人で、明治維新の元勲であり、西郷隆盛、木戸孝允と並んで「維新の三傑」と称されました。

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西郷隆盛人形

鹿児島市 維新ふるさと館 西郷隆盛人形
記念撮影用の犬を連れた西郷さんの人形

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西郷隆盛の軍服、大久保利通のフロックコートを試着し、記念撮影ができます。二人とも身長が178cmもあったのですね。当時にしては、相当大柄だったでしょう。しかも西郷隆盛は、相当濃い顔、大久保利通は、日本人離れしたおしゃれな風貌。お二方とも印象的で、かなり目立ったでしょう。

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「薩摩エピソード」のコーナーでは、西郷隆盛と身近に接した義妹の岩山トクさんの話から、西郷さんの実像を知ることができます。

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幕末探訪・郷中教育

維新ふるさと館の幕末探訪・郷中教育のコーナーでは、幕末期の下級藩士の一日の生活を再現しています。また、先輩が後輩を教え導いた薩摩独特の「郷中教育」を紹介しています。明治維新を支えた英雄たちの生活を、参加体験型装置により楽しく体感できます。
郷中の教育で主に行われたのが剣術で、代表的な流派には「示現流」と「野太刀自顕流」があります。二才たちは稚児に稽古をつけた後、さらに自分たちの稽古を行いました。またふだんから「山坂達者」を合言葉に、野山を駆けたり相撲を取るなど、激しい運動により心身の鍛錬に努めました。

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琵琶は、郷中教育で使われていたのものです。郷中で、音楽による情緒の育みに琵琶が使われていました。薩摩藩では多くの武芸が奨励されました。

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示現龍・野太刀自顕流

薩摩の代表的憲法に示現流と野太刀自顕流があります。示現流(東郷重位が流祖)が主として上級武士にたしなまれたのに対して、野太刀自顕流(薬丸兼陳が野太刀自顕流と命名)は、主として下級武士にたしなまれました。野太刀自顕流は薬丸自顕流とも呼ばれています。

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示現龍・野太刀自顕流で使われていたものです。
幕末に活躍した志士たちの多くが自顕流の達人たちでしたので、「明治維新は薬丸自顕流がたたきあげた」と言われているほどです。両剣法ともに薩摩の剣は「一の太刀で必ず相手を倒す」ことを極意としました。野太刀自顕流は又木の上に置いた横木を打って鍛えました。「朝に三千、夕に八千」と言われるほどの厳しい稽古をしました。



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