九州旅・九州各地の温泉・四季・町並・歴史

日の丸と君が代の発祥の地薩摩

かごしまふるさと維新館では、明治3年にフェントンが作曲した、当初の「君が代」を聞くことができます。

日の丸3

国旗の日の丸と国歌の君が代は、鹿児島(薩摩)が発祥の地です。日の丸と君が代の歴史が意外と浅いのにびっくりしました。これも島国だからなのでしょう。

日の丸2

国旗「日の丸」国歌「君が代」発祥の地「薩摩」

外国の艦船などが入港した際に、友好国との間で行われる儀式では、必ず国旗が掲揚され、国歌が演奏されるのが習わしですが、幕末から明治初年にかけての日本には、まだ国旗・国家がありませんでした。他藩にさきがけて外国との交流を手掛けてきた薩摩藩では、特にその必要性を感じてきました。
そこで、島津家28代島津斉彬(藩主)は、「日の丸」を「日本総船の船印」として採用するよう幕府に提言するとともに、見本を作成提示しました。これを水戸の徳川斉昭などが支持して実現したものです。
また、「君が代」は、古今集にある歌からとったものですが、薩摩では古くから「サムライ踊り」や「薩摩琵琶」などの歌詞に使われてきました。薩摩藩が日本最初の軍楽隊を組織し、フェントン(英国人)に習ったことがきっかけとなり、大山巖など薩摩人が歌詞を提示してフェントンが作曲したのが日本最初の「君が代」です。後に、明治13年楽曲改定があり、現在の「君が代」の曲となりました。(現地案内板より)

日の丸1

君が代 薩摩琵琶の名曲から歌詞を出典
明治3年(1870年)に薩摩藩軍楽隊によって発表される。明治2年(1869年)、薩摩藩はいち早く軍楽隊を組織し、伝習生30名を横浜に派遣して英国軍楽隊長ジョン・ウイリアムフェントンのもとで学ばせました。これが日本の洋楽導入の始まりであり、吹奏楽の発祥となりました。そのときフェントンから「日本には国家はないのか。歌詞があれば作曲しよう」と問いかけられ、大山巖らが薩摩琵琶曲の一つ「蓬莱山」から君が代の一節を歌詞に選び、フェントンへ渡しました。彼はさっそく曲をつけ、明治3年(1870年)に明治天皇の御前で薩摩藩軍楽隊によって初演されました。
その後、歌詞と洋風メロディーとの違和感が各所から指摘され、明治13年(1880年)楽曲の改定があり、現在の国家「君が代」に到っています。かごしまふるさと維新館では、明治3年にフェントンが作曲した、当初の「君が代」を聞くことができます。
演奏:鹿児島県警察音楽隊・歌唱:瀬戸口浩(現地案内板より)



南九州一覧

  鹿児島  宮崎  沖縄