旧鹿児島県立興業館
壁や床は本県産の石材(溶結ギョウカイ岩)を用いて、明治16年に建設された建物です。旧鹿児島県立博物館と呼ばれこともあります。
所在地:鹿児島県鹿児島市城山1
和洋折衷の石造2階建て寄棟屋瓦葺きです。
延床面積:674.9平方メートル
鹿児島県産の溶結凝灰岩を石材とした組積造りで、和洋折衷の独特な風貌をもった建物です。現在は老朽化のため、立ち入り禁止になっていました。
旧鹿児島興業館は、鹿児島市で開催された第24回九州・沖縄共進会のパビリオンとして明治16年に建設されました。終了後は鹿児島県立興業館として使用されました。以後名称を変えながらも、一貫して物産の陳列場として利用されました。
建物の由来
【明治16年9月】県立興業館として建設された。壁や床は本県産の石材(溶結ギョウカイ岩)を用い、イギリス人かあるいはフランス技師の設計によったものといわれている。本願寺の大谷氏より1万5千円の建設資金寄付を受けた。
【明治22年4月】鹿児島市制の施行と同時に、市役所の仮事務所となり、明治25年4月現在の市立美術館(旧市役所)が竣工するまで使用された。
【明治27年7月】県産物陳列場と改称、委託販売も取り扱った。
【大正10年4月】県産物陳列所と改称された。
【昭和7年4月】県商工奨励館と改称された。
【昭和20年6月】戦災のため、内部は焼失し、石造部分のみ残った。
【昭和26年11月】工費250万円で博物館として再建された。
【昭和28年3月】県立図書館の郷土博物資料をこの建物に移し、鹿児島県立博物館として発足した。
【昭和56年1月】新館整備に伴って、県立博物館考古資料館として使用することとなった。
鹿児島県立博物館(現地案内板より)