床次竹二郎像
床次竹二郎は、明治期から昭和戦前期にかけて活躍した官僚・政治家です。3度に亘って鉄道のトップとなりました。鉄道弘済会は、昭和7年(1932年)に床次鉄道大臣のもとで認可されました。
所在地:JR鹿児島中央駅前
制作者:朝倉文夫
設置:昭和53年(1978年)10月11日
設置者:床次竹二郎顕彰碑建立推進会
「床次竹二郎之像」の揮毫は、当時の高木文雄国鉄総裁によるものです。
床次竹二郎(とこなみたけじろう)は、日本の官僚、政治家です。(慶応2年12月1日(1867年1月6日)~昭和10年(1935年)9月8日))
昭和6年(1931年)12月に犬養内閣の鉄道大臣に就任。「万年首相候補」と呼ばれましたが、政権獲得の夢を遂に果たせませんでした。一方で鉄道員の福利厚生や公傷退職者を救済するため鉄道弘済会の創設に尽力しました。鉄道弘済会の発会に当たっては、当時の5,000円という多額の寄付をしています。
鹿児島駅前