九州旅・九州各地の温泉・四季・町並・歴史

道路開鑿記念碑

鹿児島の国道・県道の開鑿記念碑です。

道路開鑿記念碑1

道路開鑿記念碑(どうろかいさくきねんひ)
所在地:鹿児島県鹿児島市平之町
 鹿児島県は三方を海に囲まれ、暖かく肥沃な土地で、海陸の産物に恵まれている。しかし、県内は複雑な地形がいたるところにあり、道路が悪く、交通も不便で産業が振るわず、県民はとても苦しんでいた。当時の渡辺千秋知事(明治13年7月~明治23年9月)は、このことを憂い、県民のために道路を整備することとし、県議会に諮って賛成を得た。県民はこれを聞き競って建設費を寄付し、また、政府は国庫補助金も出した。
渡辺知事に代わった山内堤雲知事(明治23年9月~明治25年11月)もこの事業の必要性を大いに認め、自ら先頭に立って吏員や県民に対して、この大事業を成し遂げうるのは、いかにつらくともこの仕事の他に無いと、促し激励した。明治20年(1887年)6月に着工し5年の歳月を経て完成したものである。資金は50数万円で、整備した道路の延長は100里(約400km)余りであった。
 国道として
その一、国道37号は、鹿児島から市来、川内、阿久根、米ノ津を経て熊本県境に至る26里25町余り(現在の国道3号、約105km)
その二、国道38号は、鹿児島から重富、加治木、浜ノ市、敷根を経て宮崎県境に至る16里31町余り(現在の国道10御云う、約66km)
 県道として
その一、加治木町から溝辺、横川、湯之尾、大口を経て熊本県境に至る15里8町余り(現在の県道栗野加治木線、国道268号、約60km)
その二、鹿児島から谷山、知覧を経て枕崎に至る13里32町余り(現在の県道谷山知覧線、県道知覧枕崎線、約55km)
その三、谷山から伊作を経て加世田に至る8里10町余り(現在の県道谷山伊作線、国道270号、約33km)
その四、福山から岩川、志布志、大崎、串良、鹿屋、古江を経て垂水至る23里30町(現坐8位の県道志布志福山線、国道220号、約94km)を整備した。
 道路整備にあたっては、険しい山や岩石を削り取り、トンネルを通し、あるいは谷を埋め、川に橋を架けるなどして、やっと成し遂げられたものである。このようにして、初めて道路が平坦になり、往来のしやすい道路に整備した結果、人々や物資の往来が盛んになった。以前の道路が悪かったことに比べたら、これらの道路整備によって、物流が便利になり、産業の発展に果たした役割は計り知れない。
 物事を始めるのはたやすいが、これを終えるのは難しいものであることから、例えつくる者がいたとしても、これを受け継ぐ者に才知や思慮分別が無ければ必ず失敗することになる。また、便利になるとそれが当然のことと思われるようになってしまうことから永くこの恩恵を受ける県民は、当然のことながらこの事業の経緯を理解し記憶しなければならないのである。事業は成し遂げられた。そこでこのことを記しこの碑が建てられた。
明治25年3月 ※平成18年3月 平田橋たもとから現在地へ移設(現地案内板より)



南九州一覧

  鹿児島  宮崎  沖縄