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鍛冶屋町周辺偉人誕生の地

鍛冶屋町周辺には、東郷平八郎・大久保利通・山本権兵衛・大山巌・西郷従道・黒木為禎・篠原国幹・村田新八・伊地知正治・吉井友実など錚々たる偉人の誕生の地があります。

鍛冶屋町1

薩摩藩の下級藩士の居住地だったこの町は、黎明期、東郷平八郎、大久保利通、山本権兵衛、大山巌、西郷従道、黒木為禎、篠原国幹、村田新八、伊地知正治、吉井友実など錚々たる偉人を輩出しました。加治屋町を散策していると、街角のあちこちに○○の生誕の地という石碑や説明板をたくさんみかけます。
甲突川(こうつきがわ)をはさんで競い合った英才教育
 鹿児島の城下では、城下士の居住地がいくつかの地域に分けられており、その居住地のまとまりを、郷中(ごじゅう)とか方限(ほうぎり)などと呼んでいました。そうした地域ごとにつくられた青少年の教育機関を郷の相中(あいじゅう)、略して郷中と呼びました。一説には武士の戦闘集団であった「伍人組」や「什人組」が生死を共にし、論功行賞も集団に与えられるなど重要な単位集団であったことから、「伍什」が地域に密着した「郷中」になったともいわれています。
現在の加治屋町は、当時の6つの郷中からなっており、そのうち下加治屋町郷中と呼ばれた地域は、西郷隆盛、大久保利通、大山巖や東郷平八郎など数々の偉人を輩出しています。また、甲突川をはさんだ対岸の高麗、上之園、上荒田の三方限(さんぽうぎり)も下加治屋郷中と同様、島津斉彬の側近で西郷隆盛を斉彬に推薦した儒学者関勇助、薩摩藩英国留学生の一人でアメリカでブドウ王となった長沢鼎、陸軍大臣で大阪偕行社付属小学校(現在の追手門学院)の設立者高島鞆之助、長崎海軍伝習所で勝海舟らと航海術などを学び、後に海軍大将となった川村純義など幕末から明治にかけての偉人を数多く育てたことで知られています。(現地案内板より)

鍛冶屋町2

薩摩藩士の礎を築いた基本理念

理論より実践を重んじる教育
「日新公(にっしんこう)」と敬われた島津家中興(しまづけちゅうこう)の祖、島津忠義は人の道、生き方、人の上に立つ者の心得などをわかりやすく歌の形で広めることを目的として、天文14年(1545年)に「いろは歌」を作りました。「いろは歌」は理論よりも実際の行動を重んじる薩摩藩士ならではの子弟教育の教典として重視され、その後も長く親しまれてきました。郷中の二才(にせ)や稚児だけでなく、無学の者や子女もこれを諳んじて家庭教育の基礎としたといわれてます。
「古への道を開きても唱えてもわが行いにせずばかひなし」など総数47首の歌に詠みこまれた精神は、実践主義を旨として、義や誠を重んじた薩摩藩士の魂の根源でもあり、現代においてもなお色あせない重みを持っています。園内に点在するいろは歌の広場には、47首の歌と意訳とがそれぞれ石柱に刻まれており、薩摩の偉人たちにも受け継がれてきた武士としての基本理念に触れることができます。(現地案内板より)



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