島原市内の湧水
島原市は「水の都」と言われ、市内のいたる所から水が湧き出ています。湧水量は、1日に22万トンといわれており、豊富な湧き水は、共同洗い場などで市民の生活用水として利用されています。
島原湧水群
長崎県島原市一帯には、60ヶ所以上の湧水群があります。
島原市は昭和56年(1981年)、国土庁から「水緑都市モデル地区」に指定されています。
平成7年(1995年)に「水を生かしたまちづくりに優れた成果をあげている」ことが評価され、国土庁から「水の郷」に指定されています。
昭和60年(1985年)には、環境庁から「島原湧水群」が「市内各所に、湧水がみられ、それは、生活用水に利用され、また、古くからの水路等が残されて、水辺環境の整備が、行われている」という理由で、「日本名水百選」に選定されました。
萬の泉
中央街の入り口の橋にある湧水の採水場です。
「源」MINAMOTO
「源」MINAMOTO
普賢岳火砕流の災害で、四小の分校が無くなった今も水だけは、こんこんと湧いて小川もそのきれいな流れを残している。「水」は元気の源であって、人間は水無しに生きていけない。島原の人々に早く元気と復興の足掛かりになればと思い制作した。
中国産の黒御影石を使い有機的な形は宇宙を表し、大きくあいた穴はまさに宇宙の恵みとしての水がそこから湧き出る、またふりそそぐというイメージを表したものである。磨きの本体に対して割れ肌の石を配置し動きと存在感を強調した。
平成8年4月 野島泉里 (現地案内板より)
水頭の井戸
周りを閑静な住宅地に囲まれた「水頭井戸」。昭和16年に地元住民が井戸を掘ったところ、豊富な湧水が湧き出て、今も住民の生活の中に溶け込んでいます。
水頭の由来
島原大変(1792年)前は、このあたりは波止場水頭といわれ船番所があった所で、いまでも水頭という地名で呼ばれています。昭和16年、近隣の人々が協力して井戸を掘ったところ、眉山とその緑には涵養された清冽な地下水が自分して参りました。
又、この亀に自分の年齢の数だけ水をかけると、長生きすると古くから言い伝えられております。この施設は古い歴史を経た、貴重な井戸と水を県の「新活力あるまちづくり推進事業」の一つとして整備したものであります。
昭和63年3月 島原市(現地案内板より)
水頭の井戸の亀
水頭の井戸の横にいる亀の石像に湧水をかけると長生きできるという言い伝えがあるそうです。
ふる町の泉
この「名水」は、地下百メートルの「湧水」です。「長崎県食品環境センター」の水質検査の結果、水道法水質検査基準に適合と判断されました。安心してお飲みください。(現地案内板より)