山本邸
松平藩主の三河(愛知県)時代からの家臣で、藩主に随行して島原へやってきた山本氏の住宅です。当時のままの武家屋敷として今も残っており、貴重な文化財となっています。
所在地:長崎県島原市下の丁
見学時間:9:00~17:00
下級武士には珍しいといわれるこの門構えは、藩主から特別に許されたものだそうです。
山本家の初代佐五左衛門は、忠房公の先代三河(愛知県)の吉田城主忠利公時代から家臣となり、寛延2年(1749)、安永3年(1774)、6代忠恕公の島原への所管の所替に際して随行し、その後幕末まで前後13代の城主に仕えました。
山本邸
明治元年建設
山本家の初代佐五左衛門は、忠房公の先代三河(愛知県)の吉田城主・忠利公から家臣となり、寛延2年(1749年)、5代忠祇公の宇都宮移封、安永3年(1774年)、6代忠恕公の島原への所管の所替に際して随行し、その後幕末まで前後13代の城主に仕えました。山本家は城主からの信任が厚く明治以後は悟郎氏秀武氏と合わせ10代続いております。
5代茂親氏は寛政2年(1790年)に一刀流の免許、文化元年(1804年)には荻野流鉄砲術師範、文化8年(1811年)大銃術の免許皆伝を得て、代々重職を務めました。17石2人扶持で、門構えは最後の城主忠和公から特別に許されたものであります。(現地案内板より)
居間
奥座敷
お雛様
お内裏様
雛人形
雛飾り
7段雛飾り
月と兎の欄間
透彫欄間
水辺に佇む鳥
透彫欄間
飛び立つ鳥
> 透彫欄間
竹
透彫欄間と障子
透彫欄間
2羽の兎と月が彫られています。
透彫欄間
透彫欄間
炊事場の天井
竃
炊事場
六五の井戸
ここ鉄砲町は古くから町筋の中央を流れる清水を、水奉行の厳重な管理のもと、飲料水として使用していた。しかし、大正初期、周囲に田園地帯が急増し、灌漑用に使用するなど、当時の通水は従来の四分の一程度に減少し、さらに、伝染病が猛威をふるい、多数の患者が出るに至って大きな問題となっていた。
山本家第八代当主・秀左右は、この現状を深く憂慮し、井戸掘りに着手した。大正6年5月に完成を見たので、それに因んで六五の井戸と命名した。
井戸の深さ:約8.2m
水深:約2m
形:円形(直径約1m)
作業延人員:42人
総経費:五十円九十五銭二厘(当時、米10kgが約1円)
工事日数:十日
山本家「井戸掘日記」より (現地案内板より)