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島原武家屋敷

現在保存されている下の丁の武家屋敷は、延長406.8m、幅長5.6mの町並みです。

武家屋敷18

所在地:長崎県島原市下の丁
水路に沿って、石垣塀が続きます。山本邸、篠塚邸、嶋田邸の3軒が一般公開(無料)されています。
島原城築城の際、外郭の西に接して扶持取70石以下の武士たちの住まいが建設されました。戦いのときには鉄砲を主力とする徒士(歩兵)部隊の住居であったので、鉄砲町とも呼ばれています。街路の中央の水路は豊かな湧水を引いたもので、生活用水として大切に守られてきました。

武家屋敷17

水路

武家屋敷の通りの中央に流れる水路は、生活用水として厳重に管理され、使われていました。島原水まつりの際には竹灯籠が灯されます。

武家屋敷1

山本邸

ここに住んでいた山本家の初代佐五左衛門は、松平藩主の三河(愛知県)時代からの家臣で、藩主に随行して島原へやってきました。代々砲術師範として藩の重職を歴任し、幕末まで前後13代の城主に仕えました。17石2人扶持で、下級武士には珍しいといわれるこの門構えは、藩主から特別に許されたものだそうです。当時のままの武家屋敷として今も残っており、貴重な文化財となっています。

武家屋敷6

篠塚邸

この屋敷に住んでいた篠塚順右衛門は、松平藩主の三河(愛知県)時代からの家臣で、藩主に随行して島原へやってきました。明治時代まで11代続き、主に郡方祐筆(書記)や代官などを務めていました。屋敷は現在も保存され、一般に公開されています。(島原市HPより)

武家屋敷22

欄間と障子

障子にも紅葉と山などの模様が入っています。

武家屋敷21

石垣の上から、みかんが覗いています。
このあたり一帯は中・下級武士の屋敷で、一戸当たりの敷地は3畝(90坪)ずつに区切られ、家ごとに枇杷、柿、柑橘類などの果樹が植えられていました。

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鳥田邸

鳥田家は藩主松平氏の草創以来の古い家柄で、藩主転封にともなって三河国吉田、丹波国福知山と転じ、寛文9年(1669年)、ここ島原に入った。歴代地方代官・郡方物書などを勤めたが、幕末には御目見獨禮格で7石2人扶持を受け、材木奉行・宗門方加役・船津往来番などの重職についた。このあたり一帯は中・下級武士の屋敷で、一戸当たりの敷地は3畝(90坪)ずつに区切られ、家ごとに枇杷、柿、柑橘類などの果樹を植えていた。道路の中央を流れる青龍は、往時の生活用水路である。(現地案内板より)

武家屋敷4

鳥田邸は現在も保存され、屋敷の一部が公開されています。

武家屋敷14

桜の花が咲いていました。

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武家屋敷街

ここ一帯に徒士屋敷があり、松倉重政が島原城を築いた時に、下士をまとめて住まわせました。(上士は城内に取り込んでいます。)
 一軒一軒の屋敷には教会の塀がなく、隣家の奥までまる見えで鉄砲の筒の中を覗いたようだというので、鉄砲町と呼ばれていました。鉄砲組すなわち歩兵の居住地隊であったからでもあります。
 城に近い方から、下ノ丁、中ノ丁、古丁(ここまでが松倉時代分)、下新丁、上新丁、さらに新建と江戸丁、新屋敷などを配置しました。いずれも長さ約400mの屋敷町です。それぞれ約90坪の屋敷に建坪約25坪で、屋根はわら葺きです。約700軒ありました。
 町を流れる清水は北方2kmにある杉谷・水の権現(温泉熊野神社)から引いた人工の水路です。飲用水にもなっていましたから、水奉行を置くなどして大切に使用されていました。1775年頃には石垣などを整備しています。ここには江戸の昔が残っています。
島原市 (現地案内板より)

武家屋敷2

武家屋敷3

島原藩士屋敷図

武家屋敷5

さかきばら郷土史料館

所在地:長崎県島原市城西中の丁2034
開館日:土・日・祝日のみ 開館時間:9:30~17:00

入館料:一般300円・小中高生50円
島原の乱や島原大変などの歴史が紹介され、また設置者が戦後50年間をかけて収集してきた、人々のくらしを物語る生活用具が数多く展示されています。

武家屋敷8

武家屋敷19

武家屋敷16

武家屋敷21


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