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清光山 江東寺

曹洞宗の寺院で、大きな涅槃像が安置されています。

江東寺1

所在地:長崎県島原市中堀町42
説法涅槃代仏像安置
板倉豊後守重政公墓所・板倉内膳正重昌公墓所

江東寺5

寺号額

「江東禅寺」と記されています。

江東寺3

江東寺由来書

当寺は南有馬村にあった原の城主14代有馬修理太夫晴信の実弟・義純が2歳にして出家して後、永禄元年(1558年)島原半島北有馬村田平に郡内最初の禅寺として開山した。
有馬公が日向延岡に移され二年後に奈良五條から松倉豊後守重政が城主となり、島原に城を移すに連れて当寺も城下今村に移転し、松倉城主の菩提寺となった。時に江東寺第三世の時である。
寛政4年4月1日雲仙岳の爆発に伴う大地震と大津波により江東寺も埋没した。第15世説外実言和尚は25年に亘り浄財を集め文政7年に現在の堂宇を再建した。
昭和33年墓地中央の小高い場所に第28世大成禅光和尚の発願により日本一の涅槃像を建設、その横に当寺開基・松倉重政公の墓と島原の乱幕府司令板倉重昌公の墓がある。山門の横にある十徳延命地蔵は無縁の墓地を整理して諸霊を慰め、本堂裏には昭和37年に起工してより現在までに増築を重ねて1179(昭和60年)の納骨式位牌堂があって担信徒の先祖の霊が祀られている。 当山(現地案内板より)

江東寺4

本堂

江東寺2

山号額

「清光山」と記されています。

江東寺8

涅槃像

全長:約8m、高さ:2m、鉄筋コンクリート造りの涅槃像です。

江東寺9

諸法涅槃代仏像

涅槃とは煩悩の火を焼き尽くして智慧が完成したさとりの境地を指す言葉であるが、釈尊の入滅を指す言葉としても用いられる。この像は釈尊が悟りを開かれてより45年間の説法の旅を終えられ、故郷に近いクシナーラの沙羅双樹の下で入滅(涅槃)に至るまで説法を続けられた最后の尊いみ姿である。当山28世太成禅光和尚・松倉・板倉両公追善のために、発願して建立さる。造像奈良県信貴山仏子道場主、福崎日精師、文字通り精進潔斉全く独力による造像である。
昭和32年12月完成。全長8m余、高さ2m、鉄筋コンクリート造り涅槃像としては日本最大のもので、足裏に仏足石の紋様が刻まれているもの最初である。頭部に信者による写経壱万部を納め、台座は歴代住職の納骨堂となっている。(現地案内板より)

江東寺10

  お涅槃の御足をさすりて 泣く媼  也空
  二千の墓碑を統べて 大寝釈迦  也空
(現地案内板より)

江東寺11

板倉豊後守重政公墓(正面中央の墓)
島原城築上の主、当寺の開基、板倉重政公が城を島原に移すに従って当寺も北有馬から島原に移り板倉氏の菩提寺となる。寛永7年11月16日歿享年57歳
板倉膳正重昌公墓(向かって左の墓)
三河国中島城主、島原の乱幕府追討軍の総帥。寛永15年正月元旦、自ら陣頭に立ち、一揆軍の弾丸に当たって戦死。51歳当寺に於いて火葬に附し葬る。
新玉の年の始めに散る花の 名のみ残らば 先駆と知れ
当山29世 禅隆 記(現地案内板より)

江東寺12

涅槃像の御顔

江東寺13

涅槃像の御足

足裏に仏足石の紋様が刻まれています。

江東寺14

江東寺6

先づ合掌の碑

江東寺7

鐘楼

江東寺15

江東寺16

江東寺17


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