島原城
有明海に臨み、雲仙岳の麓に位置する、長崎県島原市にあるお城です。森岳城、高来城と呼ばれることもあります。
所在地:長崎県島原市城内1丁目1183-1
開館時間:9:00~17:30
寛永元年(1624年)に築城され、明治3年(1871年)に廃城されました。現在は、天守閣、丑寅櫓、巽櫓、西櫓が復元されています。
島原城由来
この地は森岳といい、有馬晴信が本陣を構えて佐賀・龍造寺隆信軍を撃破したところです。この瑞祥の地に、五条(奈良県)から入封した松倉重政が島原城を築きました。1618年(元和4年)着工、4~7年の歳月を経て完成。同時に島原城下町も整備したといいます。破風をもたない層塔型総塗込の五層の天守閣を据える本丸。北へ二の丸と三の丸を配置して、要所を三層櫓で固め、外郭は4kmに渡り矢狭間を持つ練塀で取り囲みました。
四万石の大名には過分な城です。ここに有馬氏時代からの海外貿易の利益と、松倉氏の新興大名としての意気込みが見られます。以来、松倉氏・高力氏・松平氏・戸田氏・再び松平氏と四氏十九代の居城として輝きました。その間、1637年(寛永14年)島原の乱では一揆軍の猛攻をしのぎ、1792年(寛政4年)島原大変時には打ち続く地震と足下を洗う大津波にも耐えてきました。
明治維新で廃城になり、払い下げ・解体されましたが、島原市民の夢である御城復元への取組みが長年続きました。1964年(昭和39年)天守閣が復元するなど、次第に昔の面影を取戻しつつあります。(現地案内板より)
青い空に白い天守閣がよく映えます。
青空に映える島原城
顔出し看板
島原城、島原の町を泳ぐ鯉、がんばくんとらんばちゃん
顔出し看板
島原城と殿と姫と鯉
高く頑丈な石垣が積まれています。
魚の形の石
鏡石
廊下を渡りきったここ本丸「桝形」には超一級の「鏡石」がちりばめられています。(桝形は、石垣や土塁によって囲まれた四角形の小さな区間のことです。)
鏡石とは、目立つ部分に据え付けた特別な石で、そこを通る人に城主の権威を見せつけるために入れられたといいます。織田信長の時代から始まり、豊臣秀吉の城づくりで使われた技術です。
山型の鏡石
立派な鏡石です。