九州旅・九州各地の温泉・四季・町並・歴史

塩俵展望広場

柱状節理といわれる、柱がいくつも立っているような奇岩群が約1kmにわたって続く断崖です。

塩俵1

所在地:長崎県平戸市生月町壱部1560

塩俵2

生月島塩俵断崖の柱状節理

生月島は、南北約10km、東西(最大幅)3.8kmの細長い島で、新第三紀(役2500万年前~約200万年前)に「平戸層群」(約1500万年前)の上に「松浦玄武岩」(約800万年前)が重なった溶岩台地です。
 柱状節理は、溶岩流が厚い部分に発達する場合が多く、玄武岩の柱はほぼ垂直で、さらに水平に亀裂が生じてくる。当地の姿や断面5~7角形の蜂の巣状の俵を重ねた様は、これらを物語るものです。本節理は県内でも代表的なもので、南北に約500mの長さと海面から約20mの高さの規模をもち、景観的にも優れ貴重なものです。(現地案内板より)

塩俵3

塩俵4

塩俵5

塩俵6

塩俵7

塩俵8

塩俵11

塩俵13

塩俵14

塩俵10

山頭草原1

益富捕鯨 納屋址

生月町指定史跡 御崎捕鯨組納屋場跡
昭和46年3月29日指定
 享保14年(1729年)益富又左衛門正勝が、この地に、舘浦で営んでいた鯨組を移した。この一帯を石垣で囲い、網納屋、鍛冶網大工樽等の納屋、赤身納屋、東蔵尾羽毛蔵、苧蔵、塩蔵、大納屋、道具納屋、油壷場、小納屋、小納屋蔵、骨納屋、勘定納屋、大工納屋、米倉、新筋蔵、艪納屋、油貯六間倉、荒物貯八間倉等各一宇、筋納屋二宇、羽差納屋一宇、加子納屋三十宇、轆轤八箇所等があり、海岸に鯨の解体場、船引揚げ場があり、当時の大工場であり日本最大規模の捕鯨基地でもあった。享保18年に鯨の網取法を導入してからは、少し離れた古賀江の海岸に網干し場を設けている。
 天明8年(1788年)絵師・司馬江漢は生月の益冨家に一ヵ月滞在し、この間この地を訪れて捕鯨その他をスケッチしている。又、明治24年には、幸田露伴が、この地や羽差などをモデルとして、小説「いさなとり」を発表した。
 捕鯨不振により文久元年(1861年)基地は閉じられた。
平成3年3月25日設置 生月町教育委員会(現地案内板より)

山頭草原4


長崎一覧

  長崎  平戸  佐世保
  島原   雲仙・小浜