島の館・カクレキリシタン
島の館2階第3展示室には、隠れキリシタンに纏わる資料が展示されています。
所在地:長崎県平戸市生月町南免4289-1
教会を模した展示室には、生月島キリシタンの歴史やそれらに纏わる資料が展示されています。
生月島キリシタンの歴史
天文18年(1549年)に宣教師ザビエルが鹿児島に上陸した後、九州を中心にキリシタン(カトリック)の教えが広まります。当時貿易港だった平戸でも、当地を治める大名・松浦氏の重臣・籠手田氏と一部氏が入信し、その領民の多くがキリシタンとなりました。しかし豊臣秀吉が天正15年(1587年)に発令した伴天連追放令以降、キリシタンに対する禁教圧力は次第に強まります。慶長18年(1613年)幕府は全国的な禁教令を出し、その後はキリシタン禁制の高札が立てられ、寺への檀家帰属を強制する宗門改寺請制度や、踏み絵の行事も行われるようになりました。
生月島でも慶長4年(1599年)には、棄教を拒んだ籠手田氏・一部氏が多くの信徒を引き連れ長崎に退去します。慶長14年(1609年)には島内に残った信徒の指導者・ガスパル西玄可が処刑され、元和8年(1622年と寛永元年(1624年)にはカミロ神父の潜行布教を助けた信徒と家族達が中江ノ島などで処刑されます。しかし多くの信徒は、表向き神仏を祀りながら、キリシタンの信仰形態を続けました。(現地案内板より)
教会を模した展示室には、ステンドグラスも飾られています。
ステンドグラス
ステンドグラス
山田カトリック教会の軒瓦
山田教会は大正元年に竣工した煉瓦造教会で、各地で教会造りを手掛けた鉄川与助の建築による。内部のリブ(こうもり)天井が美しい。昭和45年に正面が増築されて、従来無かった鐘楼が増築された。そのためにこの軒瓦が不要になったため、当館に寄贈されたものである。(現地案内板より)
大型メダイ「無原罪の聖母」
堺目集落旧下宿津元御神体
縦11cm・横8cmの楕円形の中に、三日月に乗るマリア像を配する。像のぶれもない優品で、恐らくはヨーロッパからの伝来品と思われる。(現地案内板より)