松浦党水軍
伊万里市から松浦市に抜ける国道204号線沿いに調川道路公園があり、その高台に松浦水軍の兜のモニュメントがあります。
松浦党発祥の地と松浦水軍の兜
松浦市は松浦党発祥の地です。松浦党とは、中世に海を舞台に活躍した武士団のことで、嵯峨天皇の子孫にあたる渡辺久がその始祖といわれています。久は1096年にこの地方を治めるため御厨検校(長官)としてこの地におもむき、松浦市今福町に梶谷城を築き「松浦」の姓を名乗り定住しました。
松浦党はその活動を万里の海に求め、交易による大陸文化の摂取にもつとめました。松浦党の活躍はめざましく、源平の舟合戦などにも参戦しました。元軍が北部九州に攻め寄せた文永の役と弘安の役では、目の前の湾内に集結した元軍の軍船に奇襲戦法などで応戦しました。
私達は郷土のロマンと先達者の活躍を誇りにし、その想いをこの兜に託し、松浦市の存在を示すものであります。このモニュメントの参考にした兜は武将用のもので、実際の舟戦では鍬形左右の角は取り外していた。
八幡とは、全国の八幡神社の祭神であり、武家では軍神として崇め武運長久の祈りをこめて、これを押し立てて舟戦に臨んだのである。
松浦市観光協会(現地案内板より)
兜の中央には、八幡大菩薩の札が掲げられています。