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平戸歴史の道

平戸港交流広場から、松浦史料博物館を結ぶ道を歴史の道とよんでいます。

銅像9

平戸港交流広場から、松浦史料博物館に向かう通り、歴史の道には、あたかも松浦史料博物館に招き入れるように、平戸に深い所縁がある方々の銅像が右手を上げて並んでいます。
平戸港交流広場から松浦史料博物館に向かって、ジャックス・スペックス、ウィリアム・アダムズ、フランシスコ・ザビエル、王直、松浦隆信の順に並んでいます。それにしても何故片手を挙げているのでしょうか。どこを指しているのでしょうか。平戸観光協会の人に尋ねましたがわかりませんでした。

銅像2

歴史の道「モニュメント群」について

平戸は、古くから中国や朝鮮半島との交流が盛んでした。戦国時代後期、領主松浦隆信(道可)のもと中国の海商・王直が平戸に本拠を定め、急激な発展をもたらします。これは1550年、ポルトガル船の平戸港入港の景気となります。同年、イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが平戸を訪れ、キリスト教布教を開始しました。
 その後、オランダ船デ・リーフデの航海長であったウィリアム・アダムス、初代オランダ商館長ジャックス・スペックス、初代イギリス商館長リチャード・コックスが平戸を訪れ、平戸の海外貿易、文化交流に多大な功績を残しました。
 日蘭交流400周年を記念して、この華やかで栄光の歴史の数々を後世に語り継ぐた、え歴史の道「モニュメント群」として整備したものであります。
平成12年4月吉日 ながさき阿蘭陀年推進協会会長・長崎県知事 金子 原二郎(現地案内板より)

銅像6

リチャード・コックス

Richard Cocks
平戸イギリス商館長 平戸イギリス商館長として日英貿易に尽力した。また、日本で初めて甘藷(さつまいも)を栽培した。

銅像4

ジャックス・スペックス

Jacques Specx (1585年~1645年)
初代平戸和蘭商館長
平戸を拠点とした海外貿易交流に力を尽くし、貿易港平戸の発展に大きく寄与した功労者。

銅像8

ジャックス・スペックス

銅像8

ウィリアム・アダムス

日本名:三浦 按針(みうら あんじん)(1564年~1620年)
デ・リーフデ号航海士

銅像7

ウィリアム・アダムス リーフデ号は1600/4/19に豊後の臼杵に漂着しました。引見後、徳川家康に気に入れられ、外交交渉の通訳をしたり、幾何学や数学、航海術などの知識を家康以下の幕閣に授けたと言われています。

銅像1

1602年には、御用商人の娘、お雪(マリア)と結婚し、後に息子のジョゼフと娘のスザンナが生れ、1620年に平戸で没しました。

銅像3

ウィリアム・アダムス

銅像10

フランシスコ・ザビエル

Francisco Xavier(1506年~1552年)
イエズス会宣教師
日本にキリスト教を伝えた宣教師で、カトリック教会の聖人です。1549年に日本に初めてキリスト教を伝えました。また、日本のみならずインドなどでも宣教を行いました。1550年に松浦隆信領主に宣教の許可を得て、平戸で宣教活動をしました。

銅像3

フランシスコ・ザビエル

銅像4

フランシスコ・ザビエル

銅像2

フランシスコ・ザビエル

銅像6

王直

別名:五峰・金呈・徽王(?~1559年)
平戸にポルトガル船を導いた貿易商

銅像5

中国生まれの王直は五峰とも呼ばれる数千の部下と三百艘の船を持つ大海賊の首領でした。松浦藩主の保護を受け、南蛮ポルトガル船を平戸へ入れ、海外交易の橋渡し役として活躍しました。倭寇の首領としても有名で、徽王と称して各地で密貿易を行いました。しかし、1559年中国で捕らえられ、同年12月25日に杭州で斬首されました。首がはねられた後も胴体は倒れなかったと伝えられています。

銅像5

王直

銅像1

王直

銅像7

松浦 隆信

(道可)(1520年~1599年)
平戸松浦家第25代領主


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