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平戸和蘭商館跡

平戸和蘭商館があったこの場所には、現在は当事の姿を忠実に再現した1639年築造倉庫が復元されています。

和蘭商館跡1

所在地:長崎県平戸市大窪町2477番地
平戸和蘭商館があったこの場所は、以前は平戸和蘭商館跡として広場になっていました。その頃は、オランダ商館の模型や歴史の説明書などがありました。現在は当事の姿を忠実に再現した1639年築造倉庫が復元されています。

和蘭商館跡2

平戸和蘭商館跡

1609年(慶長14年)、耐火倉庫付き家屋1軒を借り受け商館業務を開始した。貿易の拡大とともに海岸を埋め立て、敷地を拡大してゆき、1637年(寛永14年)には、ほぼ現在と同じ海岸線になっていたと考えられている。1640年(寛永17年)、建物の破風に西暦が記されていることを理由に幕府による破壊命令がくだり、1641年(寛永18年)、長崎出島へと和蘭商館は移転していくこととなる。商館がこの地にあった33年間は「西の都」と呼ばれるほどに貿易港として賑わいをみせていた。現在ではオランダ塀、オランダ井戸、オランダ埠頭、常燈の鼻にその名残をとどめている。 平戸市教育委員会(現地案内板より)

和蘭商館跡4

平戸和蘭商館跡(国史跡)

大正11年10月12日指定 文部省
 慶長14年(1609年)、徳川家康の許可を受け、耐火倉庫付家屋一軒を借りて商館が開設された。その後、商館敷地造成や建物建築が行なわれ、長崎出島移転直前の1630年代後半には石造倉庫など西洋風の建物が築造された。考古学による発掘調査では、その変遷は次の三期に細分される。
[第1期]1609年の商館設置より1616年または1618年の埋立工事までの期間で、平戸町人が造成した敷地に倉庫や居住家屋が建てられる。
[第2期]石造倉庫に伴なう敷地が造成されたと考えらえる1636年頃までの期間で、倉庫四棟、居住家屋、門番小屋など多くの日本式家屋が存在していた。
[第3期]出島に移転する1641年までの期間で、石造三階建倉庫二棟、一部石造三階建住居などの洋風建築物と共に日本間などの日本式家屋が建てられた。また、住居の一部などは第二期より引き続き使用している。
 この付近は、1618年町屋との境界塀(オランダ塀)などと共に、敷地造成がなされたと考えられる。東側海岸部には水門、青石造階段(現存)が存在していた。また、後方(山側)には三階建住居(広間、食堂)、日本間(茶屋、座敷)などが建てられていてた。この場所は広間と考えられていたが、平成4年の発掘調査によって建物礎石や漆喰が付着した玄武岩板状石などが出土した。商館時代に属するものだが、調査面積が狭かったこともあり建物の性格および年代は判然としていない。今後の継続的な発掘調査によって明らかになると思われる。(現地案内板より)

和蘭商館跡5

和蘭商館跡6

国史跡 平和和蘭商館跡 大正11年10月12日指定(文部省)
オランダ商館は、長崎出島に移る前はここにありました。

和蘭商館跡3


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