見奏櫓・狸櫓
昭和35年(1960年)に再建された見奏櫓と往時の木造遺構として現存する狸櫓(多聞櫓)です。
平戸城 見奏櫓
平戸瀬戸に面した丘陵の上に建てられています。
見奏櫓
海を見渡せる大変眺めがいいところです。平戸城は海に付き出た亀岡山の地形を利用し、東・西・北の三方を囲む平戸瀬戸を天然の外堀とし、縄張は山鹿流兵学の開祖・山鹿素行と伝えられています。
平戸梶紋
見奏櫓の石柱の上部に記された家紋
見奏櫓の軒瓦には、松浦家の家紋の一つである三星が刻まれています。
見奏櫓の屋根
見奏櫓と平戸瀬戸
狸櫓
狸櫓の由来記によると、本当はこの櫓は、多聞蔵(たもんぐら)という名だったそうです。
たぬきやぐら
この狸櫓と呼ばれる多門蔵の床下に狸が住んでいたが、櫓の修理のために床板を全部はがしたところ、狸が小姓に化けて松浦藩主の寝床にやってきて、「私達一族を櫓に住ませて頂きたい。そうしていただければ、私達一族は永代に渡ってこの城を守ります。」と嘆願したため、松浦藩主が床を元のようにはったところ、狸がずっと住み着いた。という伝説から、狸蔵と呼ばれるようになったそうです。
狸櫓内部
狸櫓には、昔の農業の道具や器具、みのなどが展示されています。
脱穀機
脱穀機(足踏)
茶摘籠
懐柔櫓
懐柔櫓の向こうに見えるのは平戸大橋です。
平戸瀬戸が見えます。