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平戸城

平戸城は、平戸藩主・松浦氏の居城です。別名亀岡城。

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平戸城(ひらどじょう・Hirato Castle)
所在地:長崎県平戸市岩の上町1458
開館時間:8:30~17:30
休館日:12/29・12/30・12/31
現在天守閣内は、資料館になっていて、平戸の歴史、松浦党の歴史などを垣間見る品々が展示されています。

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平戸城は海に付き出た亀岡山の地形を利用し、東・西・北の三方を囲む平戸瀬戸を天然の外堀とし、縄張は山鹿流兵学の開祖・山鹿素行と伝えられています。
山鹿素行は、元和8年(1622年)8月16日、陸奥国会津(福島県会津若松市)に生まれました。儒学者・兵学者であり、孫子の兵法の研究の第一人者でもありました。「山勘」という言葉の語源になったとも言われる、山本勘助(勘介)の兵法も研究し、後に吉田松陰等にも影響を与えたと伝えられています。山鹿素行も山本勘助も大変興味深い人物です。

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平戸城(亀岡城)ご案内

 平戸松浦氏は秀吉政権下の天正15年(1587年)、63,200石の大名となった。文禄慶長の役では約6,000軍兵を率いて朝鮮半島を転戦し、帰還後の慶長4年(1599年)初めてここに「日の岳城」を築いたが、慶長18年に大火により焼失した。それからおよそ100年後の宝永元年(1704年)、徳川幕府の許可のもと、亀岡城(平戸城)再築に着手。15年の歳月と人夫約555,000人、銀1,180貫余を費やし、享保3年(1718年)に完成した。
 総面積約54,000坪(18ヘクタール)最上部の本丸は海抜16丈2尺(約50m)、城郭部は白浜郭を含む外観、三の丸、二の丸、本丸の4層からなる。
 往時の木造遺構としては北虎口門と多聞櫓(狸櫓)が現存し、昭和35年(1960年)より乾三重櫓、地蔵坂櫓、見奏櫓、懐柔櫓、沖見櫓(元天守閣)が再建された。(現地案内板より)

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平戸城 天守閣

明治4年(1871年)に、廃藩置県により廃城となり、城は翌年解体されました。昭和37年(1962年)に、天守閣、見奏櫓、乾櫓、地蔵坂櫓、懐柔櫓が復元されました。現在天守閣内は資料館になっていて、平戸の歴史、松浦党の歴史などを垣間見る品々が展示されています。

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天守閣

最上階は展望所になっていて、平戸瀬戸、平戸大橋、平戸市内などをよく見渡すことができます。教会や寺院などもみえます。

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天守閣

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海側から見た天守閣

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天守閣と見奏櫓

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本丸門

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本丸門

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北虎口書院

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こちらが受付になっていますので、入城券はこちらでどうぞ。

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北虎口門

北虎口門は、宝永4年(1707年)に完成した旧亀岡城当時のものです。北虎口門の扉は、現在は天守閣に展示されています。

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北虎口門

宝永3年(1706年)建造・工費銀8貫769匁
石垣と石垣の間にのった「渡櫓」様式で、城内に現存する唯一の木造遺構です。藩主の私邸(棲霞園)に最も近く、二の丸御殿(現・亀岡公園広場)への通用門でもありました。

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乾櫓

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乾櫓

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地蔵坂櫓

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石垣

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石垣と石段


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