聖フランシスコ・ザビエル教会
昭和6年(1931年)に建てられたカトリック教会は、ザビエルの平戸来訪を記念して、「ザビエル記念像」が建立され、「聖フランシスコ・ザビエル記念教会」と改名されました。
所在地:長崎県平戸市鏡川町269
フランシスコ・ザビエルは、天文19年(1550年)に鹿児島を経て、平戸を訪れ、日本で初めてのキリスト教の布教伝道にあたりました。現在の聖フランシスコ・ザビエル記念教会は、昭和6年(1931年)に建てられ、平戸カトリック教会と呼ばれていましたが、昭和46年(1971年)7月に、ザビエル記念像が建てられたことを記念して、聖フランシスコ・ザビエル記念教会と改名されました。
竣工:1931年
設計:末広設計事務所
鉄筋コンクリート造・平屋・396平方メートル・ゴシック様式
薄いモスグリーンと白のコントラストが爽やかな建物です。尖塔の突端には十字架が輝き、エキゾチックな建物は平戸のあちこちからみることができます。
聖フランシスコ・ザビエル記念教会
この教会は、昭和6年(1931年)に建設され、正式にはカトリック平戸教会といいます。聖堂が寺院に囲まれ、東洋と西洋文化が混在して調和する、平戸の象徴的な景観を見せています。エキゾチックな彫刻やステンドグラスなどに芸術的な感性も満たされる聖堂です。昭和46年(1971年)から聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂とも呼ばれるようになりました。(現地案内板より)
教会堂の外部は薄いモスグリーンに塗装されています。正面入り口に大尖塔を建て、尖塔頂部の稜線上に多くの小突起を有する形式は、ドイツのゴシック教会の特徴があると言われています。
フランシスコ・ザビエルは、天文19年(1550年)に鹿児島を経て、平戸を訪れ、日本で初めてのキリスト教の布教伝道にあたりました。
聖フランシスコ・ザビエル記念像
東洋の使徒、偉大な聖者として世界の人々に尊敬されているフランシスコは1506年4月7日スペインのナヴァラの貴族の子として生まれた。彼はパリー大学在学中「人は全世界を掌にすることができても、その魂を永遠に滅ぼすなら何の意味があるか」(マタイ16の2)という聖句を沈思黙考、人間の幸せは愛によって神に結ばれ祝福される生き方にあることを悟り、既に約束されていたパリー大学教授の地位と一切の名誉から離れ、同志とともに修道会(イエズス会)を創立しキリストの教えを伝える一介の伝道者になった。
インド各地の伝導の後、1549年8月15日多難な航海を経て鹿児島に上陸、日本に初めてキリスト教とヨーロッパ文化を伝えた。翌年聖師は平戸に来島、藩主松浦隆信の歓迎を受け、教えを説き多くの信徒を得た。その後山口・京都などに伝道しながら、その間二度も平戸を訪れた聖師は余程平戸を愛したのであろう。
ここに聖師の記念像を建立し1971年7月18日除幕祝別し、教会も聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂と改名された。(現地案内板より)
キリスト像
マリア像
マリア像
マリア像
聖フランシスコ・ザビエル記念教会の入口に佇む聖母マリア像
キリスト像
キリスト像
ルルド
ルルドは南フランスのピレネー山脈の山麓にある町で、聖母マリアはこのルルドで少女ベルナレッタに現れた。1858年2月11日から4月7日まで、合計18回にわたりご出現し、「罪人のために祈りなさい。」と言われた。また、しるしとして多くの軌跡があり、特に聖母に言われた所を掘ってみると泉が湧き出し、その泉の水を飲み、身体を浸した病人が治るなど多くの奇跡が今も続いている。今ではルルドは、全世界から多くの信徒が訪れる有名な巡礼地となっている。
平戸ザビエル記念協会は、献堂75周年とザビエル生誕500周年を記念し、人々を信仰へ招き、信徒の信仰を養う場、そして、聖母マリアに対する信心から、その洞窟に似たこのルルドを建設し、祈りの場とした。(現地案内板より)
平戸殉教者顕彰慰霊之碑