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時津漁港

時津港は、木村湾の箕島に造られた長崎空港と時津港・大村港を結ぶ安田産業汽船の航路です。

時津漁港2

時津港は、木村湾の箕島に造られた長崎空港と時津港・大村港を結ぶ安田産業汽船の航路です。
時津⇔長崎空港⇔大村港間を高速艇が往来します。
時津港までは長崎市内からは車で20分位です。

時津漁港3

時津港の恵比須大明神

 石座像2体北泊(きたどまり)の清風館の庭先に祀ってあったものである。今は4体に増えている。場所も埋め立てが進むにつれて3回移されたものでここは4度目の場所である。
 零細は正月廿日で、浦郷の漁師たちが大漁を祈願したものである。恵比須様は七福神の一つで、唯一日本の神で他はインド・中国の福神集合体である。  恵比須様は、えびす三郎とも言い、事代主神又はえびす尊をさすとも言われており、本来農漁商の神様であるが、ここでは釣竿に鯛の姿で漁業の神となっている。
時津町教育委員会 (現地説明板より)

時津漁港4

時津港

木村湾の箕島に造られた長崎空港と時津港・大村港を結ぶ安田産業汽船の航路です。時津⇔長崎空港⇔大村港間を高速艇が往来します。時津港までは長崎市内からは車で20分位です。時津港では、昭和47年から毎年、時津町ペーロン大会が開催されています。時津港内で夏の一大イベントとして町内の10地区対抗で行われます。橋にペーロンの絵が描かれていました。

時津漁港5

時津漁港6

日本二十六聖人上陸の地の碑

 天象15年(1587年)6月、豊臣秀吉は筑前の箱崎で、九州各大名の封域を決めたが、その折に長崎の地がイエズス会に寄進されているのを聞き激怒して、はじめてヤソ教(キリスト教)の布教を禁止した。その後、慶長元年(1596年)9月、イスパニヤ船サン=フェリベ号が土佐に漂着し、キリスト教の布教はその地を植民地化する前触れであると伝えた。それを聞いた秀吉は、キリシタン禁令をさらに厳しくし、同年11月に京都、大阪にいた宣教師・信者24人を捕らえ、耳をそぎ、大阪、堺の町中を引き回した。
処刑は長崎で行うことになった。信者が多いとされていたからであろう。翌1597年1月9日、堺を出港させ、岡山で行を共にしたいという信者2名が加わった。26人の一行は、首、両手をしばられ、山陽道から唐津をへて、2月4日彼杵(そのぎ)に着いた。小舟で大村湾を渡り、時津に着いたのは夜中の11時頃であった。雪の夜の寒さ、それに飢え疲れに耐えながら、舟の中で一夜をすごし、翌2月5日(旧暦12月19日で慶長元年は未だ明けていない)早朝長崎に向かい、午後5時刑場の西坂に着き、十字架に架けられた。その様子は今、西坂の壁面に刻まれている。殉教者の内訳は、フランシスコ会宣教師6人、イエズス会のパウロ三木ら3人、信者17人で、1862年聖人の列に加えられた。時津町教育委員会(現地説明板より)

時津漁港7

時津漁港11

時津漁港12

時津漁港13

時津漁港8

橋にペーロンの絵が描かれていました。時津港では、昭和47年から毎年、時津町ペーロン大会が開催されています。時津港内で夏の一大イベントとして町内の10地区対抗で行われます。

時津漁港9

時津漁港10

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時津漁港1

時津漁港15


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