中島聖堂遺構大学門
興福寺境内にある、中島聖堂の大学門です。
所在地:長崎県長崎市寺町64番地 崇福寺内
昭和34年(1959年)保存のため現在地に移しました。門扉に大学の章句を刻むので、俗に大学門と呼ばれています。
中島聖堂遺構大学門
県指定有形文化財指定年月日:昭和35年3月22日
所在地:長崎県長崎市寺町64番地 崇福寺内
儒学者向井元升が正保4年(1647年)、東上町に孔子廟(聖堂)と学舎を設立し、これを立山書院と称しました。寛文3年(1663年)の市中大火により類焼したので、正徳元年(1711年)中島川沿岸に移転再建され、長崎聖堂と称しましたが、一般には地名をとって中島聖堂と呼ばれていました。
ここに学ぶ者は多く、大いに栄えましたが、明治時代になり、杏壇門と規模を縮小した大成殿を残すのみとなり、昭和34年(1959年)保存のために現在地に移設されました。杏壇門は、四脚門・単層桟瓦葺で左右に脇門をもち、門扉に大学章句の一節が彫られているため、俗に大学門と呼ばれています。
長崎市教育委員会 平成14年(現地案内板より)