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興福寺山門

あか門とも呼ばれている、興福寺の山門です。

興福寺山門1

所在地:長崎県長崎市寺町4-32
現存するこの山門は、元禄3年(1690年)に再建されたものです。構造は三間三戸八脚門の入母屋造で、単層屋根・総朱塗の雄大な山門です。

興福寺山門2

山門

興福寺に最初に建てられた山門は明暦元年(1655年)に創建、1663年(寛文3年)に起こった市中大火によって類焼しました。現存するこの山門は、1690年(元禄3年)に再建されたもので、構造は三間三尺八脚門の入母屋(いりもや)造で、単層屋根・総朱塗となっている壮大な門です。細部は和風であり、日本人工匠の手によるものです。(現地案内板より)

興福寺山門3

興福寺山門4

興福寺山門5

山門梁上の扁額

山門梁上の扁額には、山号の「東明山」が記されています。

興福寺山門6

山門の入口上方には『東明山』とあります。興福寺の山号で、隠元禅師がつけたものといわれます。衰退した仏祖の教えも必ずや東に明らかになるであろうという意味だそうです。

興福寺山門7

初登宝地の扁額

興福寺山門の背面梁上(内側)には、隠元筆「初登宝地」の扁額が掲げられています。この地は、承応3年(1654年)中国から来朝した隠元隆琦の初登の地であるため、初登宝地と記されています。

興福寺山門8

興福寺山門9

興福寺山門10

興福寺山門11

三江会所門

長崎在留の清国人のうち三江(江南・江西・浙江の3省)出身者が明治11年(1878)三江会を設立し興福寺に事務所を置いた。明治13年(1880)その集会場として三江会所が建てられた。主屋は昭和20年(1945年)原爆により大破し、門だけが遺存する。中央に門扉、左右は物置の長屋門式建物で、門扉を中心に左右に丸窓を配し、他は白壁、門扉部分上部の棟瓦を他より高くした意匠は簡素清明。大雄宝殿と同じ中国工匠の手になるものと思われる肘木、虹梁、彫刻など細部手法は純中国建築様式です。敷居は高く、「豚返し」と呼ぶ中国民家によく見る手法が窺える。(現地案内板より)

興福寺山門12

三江会所門

興福寺山門13

興福寺山門19

豚返しの敷居

放し飼いの豚が門内に入らないように、敷居が高くなっています。人が通るときには、二段式の上部が取り外しできます。(現地案内板より)

興福寺山門14

興福寺山門15

興福寺山門16

興福寺山門17

興福寺山門18

興福寺山門20

興福寺山門21

興福寺山門22

旧唐人屋敷

国指定重要文化財指定年月日:昭和36年6月7日
所有者:長崎市
 長崎に来航する唐商人は、はじめ市中に民宿したが、元禄2年(1689年)唐人居住の団地を造成してこれに隔離収容し、以後市中雑居を禁じた。その団地を唐人屋敷という。
 この建物は、旧唐人屋敷に遺存していたものを永久保存するために、昭和35年(1960年)長崎市が買収し現在地に移築した。材料は中国特産の広葉杉(コウヨウザン・カンニンガミヤ属)であるので、主軸部の輸入が立証された。構造や細部様式も中国独特のもので、純中国建築として貴重な遺構である。建築年代は天明4年(1784年)以降と推定される。
長崎県教育委員会 長崎市教育委員会 昭和62年3月設置(現地案内板より)

興福寺山門23


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