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興福寺媽祖堂

媽祖を祀った媽祖堂。媽祖は現在は、慈愛にみちた女神として縁結び・子宝宝授・学業成就などと信仰されています。

媽祖堂1

所在地:長崎県長崎市寺町4-32
和風を基調として建築様式に黄檗様式を加味し、内外総朱丹塗の鮮やかな建物です。

媽祖堂2

媽祖(まそ)

命がけの航海をした時代、唐船には必ず海上守護神「媽祖」が祀られ、香花を供する香工、太鼓役の直庫がこの船神に奉祀して乗り組んでいた。長崎の人びとは「媽祖」のことを船菩薩(ふねぼさつ)と呼んだ。媽祖は媽姐とも書き、菩薩(ぼさ)、娘娘菩薩、天妃、天后、天后聖母などと呼ばれて尊敬をうけた。媽祖信仰の起こりは宋代の頃、福建省興化で幼い頃から女神と謳われていた林氏の娘が大海に没して神となり、しばしば海難から船を救ったことによる。元代にはあらゆる船舶に祀られ、明代、海外貿易が盛んになるにつれて、日本や東南アジア全域に伝播された。長崎に於ける唐寺は、最初媽祖像を安置し、航海安全を祈るための媽祖堂として発足したと伝えられる。興福寺は唐寺のなかでも最も古い元和6年(1620年)の創建、媽祖堂は県有形文化財、和風を基調として中国黄檗様式をとりいれた格調の高い建築である。

媽祖堂3

「海天司命」の扁額

興福寺は、寛文3年(1663年)の市中大火で境内の建物はことごとく焼失しました。媽祖堂再建の年代は諸説ありますが、堂内正面に寛文10年(1670年)の扁額「海天司福主」が現存することから、大火後7年目の寛文10年頃には媽祖堂は整備されたものと考えられています。

媽祖堂4

媽祖堂5

「海天活佛」の扁額

媽祖堂6

媽祖行列

「媽祖(まそ)」様は、中国南部を中心に、台湾、東南アジアで広く信仰を集める航海安全の目が見です。江戸時代、長崎に貿易のために訪れる貿易船(唐船)にも、この媽祖神が必ずお祀りしてありました。唐船が長崎に入港すると、出港までの間、媽祖様を唐寺にお預けする。この送り迎えの行列が媽祖行列で、媽祖様を船から揚げて唐寺に預けることを「菩薩揚げ(ぼさあげ)」、再び船に戻すことを「菩薩乗せ(ぼさのせ)」と呼びました。(現地案内板より)

媽祖堂7

媽祖堂8

黄檗天井

アーチ型の黄檗天井。天井は瑠璃色に塗られています。

媽祖堂9

中央に本尊・天后聖母船神(媽祖神)、脇立は赤鬼青鬼と呼ばれる順風耳と千里眼が祀られています。
媽祖を守護して立ついかめしい風貌の二鬼神は、伝説によると昔、悪さばかりして、人びとを困らせていた妖術使いだったのを、媽祖が改心させ、自分の守護を命じて取り立てたと言われています。
順風耳は大きな耳が特徴で、あらゆる灰汁の兆候や悪巧みを聞き分けて、いち早く媽祖に知らせる役目を持っています。
千里眼は三つの目が特徴、媽祖の進む先やその回りを監視し、あらゆる災害から媽祖を守る役目を持っています。(現地案内板より)


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