亀山社中記念館
慶応元年(1865年)の夏頃結成された、日本初の商社、亀山社中の記念館です。
所在地:長崎県長崎市伊良林2丁目7番24号
開館時間:9:00~17:00
入館料:一般300円・高校生200円・小中学生150円
の建物は坂本龍馬ゆかりの亀山社中の遺構として現在に伝わる建物を所有されている方のご厚意により、長崎市が当時の姿により近い形で整備し、平成21年8月1日から公開しています。
坂本龍馬は、慶応元年(1865年)の夏頃、薩摩藩や長崎商人・小曽根家の援助を受け、日本最初の商社といわれる「亀山社中」を結成しました。この団体は、龍馬らが最初に拠点を構えた地「亀山」と、仲間・結社を意味する「社中」をあわせてそう呼ばれました。
活動期間は約2年間でしたが、海運業などの活動の他に、薩長同盟などにも参画するなど、幕末・維新史において、重要な役割を果たしました。亀山社中の最大の業績は、慶応2年(1866)に、長州藩のために薩摩藩名義で大量の小銃や蒸気船ユニオン号(桜島丸・乙丑丸)の購入・運搬に成功したことです。そのことが、慶応2年(1866)1月の薩長盟約締結へとつながり、新しい時代をひらくための足がかりとなったのです。
龍馬のブーツや刀などのレプリカや、書状の写し、亀山社中の志士達の写真等が展示されているほか、隠し部屋として利用されていたと思われる中2階の様子も階段上部から見ることができます。
亀山社中について
慶応元年(1865年)5月に、坂本龍馬(1835年~1867年)は、この地に、日本初の商社を設立し「亀山社中」と称しました。亀山社中の事業は航海・開運・貿易などでした。慶応3年(1867年)4月亀山社中は土佐藩直属の海援隊となり、坂本龍馬は隊長に任命されました。
坂本龍馬は周知のとおり幕末における風雲児として東奔西走、維新の原動力となって、神戸海軍操練所の設立、亀山社中の設立、薩長連合の周施と大政奉還への第一人者として実践行動力の人となり日本の基礎を築き、33歳の青春を燃焼しつくした先達の人です。
なお、幕末期の名窯亀山焼の窯跡は50米程上方の平公民館横にあります。また近くには「竹ん芸」で有名な若宮稲荷神社があり、市民の憩いの場として親しまれています。
亀山社中ば活かす会(現地案内板より)
龍馬が描かれた掛軸、龍馬の刀の復元品、龍馬が愛用したピストルの複製、などが展示されています。
龍馬の家紋入りの着物
龍馬のブーツ(再現)
龍馬がはいていたブーツの再現品。慶応年間に長崎で撮影された写真にこのような革靴が写っています。実際に用いたブーツは現存しないため、写真や当時のカタログを参考にして、長崎で復元製作されたものです。(現地案内板より)
月琴
リュート属、琵琶の一種。名称は丸い胴に由来し、明清楽の演奏に用います。表板も裏板も桐材。4本の弦は2弦同律(レレ、ララ)に調弦され、柱は8個。演奏には赤いふさの付いた鼈甲のバチ(義甲)を用います。「タタキ」と「スクイ」によって自在に音の重なりを選択するとき、音の繊細さが最もよく示されます。展示の月琴は、幕末から明治中期にかけて普及したタイプ(古胴)になります。龍馬の妻お龍も月琴を愛用したと伝えられています。
山野誠之氏所蔵【長崎明清楽保存会会長】(現地案内板より)
龍馬の等身大の写真が飾られています。
部屋
復元された名札
龍馬の等身大の写真
玄関
月琴を演奏する人
坂本龍馬に扮した係の人が月琴を演奏してくださいました。
赤いふさの付いた鼈甲のバチ(義甲)を用いて、演奏しています。
異国情緒溢れる音色でした。