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大浦東山手居留地跡

伝統的建造物群保存地区として、旧長崎英国領事館や東山手十二番館、東山手洋風住宅群などは建立時(明治期)の姿を留めています。

大浦東山手居留地跡1

安政の開国(1859年)により多くの欧米人が長崎に居住するようになったため、大浦、東山手、南山手、出島などは外国人居留地となりました。居留地は、日本の治外法権の地区で、外国人の自治領域でした。大浦・東山手界隈は、ヨーロッパ風の建物(ホテル、事務所、劇場、バーなど)で町並みが形成され、多くの外国人で賑わいました。現在、伝統的建造物群保存地区として、旧長崎英国領事館や東山手十二番館、東山手洋風住宅群などは建立時(明治期)の姿を留めています。(現地案内板より)

大浦東山手居留地跡3

オランダ坂

かつて長崎の人々は、出島に棲むオランダ人の影響から開国後も東洋人以外の外国人を「オランダさん」と呼び、「オランダさんが通る坂」という意味で、居留地の石畳の坂を一般に「オランダ坂」と呼んでいたそうです。この下のオランダ坂は、明治の初め頃にニールズ・ルンドバーグという貿易商が特別な火薬で開削したものです。居留地界隈のオランダ坂は、映画やテレビのロケで数多く撮影され、長崎を代表する人気スポットの一つです。(現地案内板より)

大浦東山手居留地跡7

東山手洋風住宅群(7棟)

この7胸の洋館群は、明治20年代後半頃に社宅または賃貸住宅としてまとめて建設されました。このような用途の住宅遺構が群として現存することは全国的に類がなく、また、東山手の景観上特異な存在であり貴重なものです。(現地案内板より)

大浦東山手居留地跡8

重要伝統的建造物群保存地区

保存地区は、丘陵の東山手町の大部分と、海岸寄りの大浦町の一部で、面積約7.5ヘクタールの範囲です。この地区は、1859年(安政6年)に横浜、函館とともに、新しい時代の自由貿易港として開港され長崎居留地が形成された場所です。
 大浦の商館と海を見下ろす丘に位置し、ポルトガル、プロシア領事館や礼拝堂などが建ち、当時は、領事館の丘と呼ばれていました。現在も領事館や住宅などの洋風建物や居留地時代の石畳、石垣、石造り溝、煉瓦塀、樹木等が一体となって歴史的環境が残されています。
 長崎市ではこうした町並みを、末永く後世に伝え残すため、平成2年10月に長崎市伝統的建造物群保存地区保存条例により、保存地区を定めました。さらに、平成3年4月に、国の「重要的建造物群保存地区」として選定を受け、地域住民とともに貴重な町並みの保護保存に努めています。
長崎市教育委員会(現地案内板より)

大浦東山手居留地跡9

大浦東山手居留地跡11

湊会所跡

安政6年(1859年)の安政の開国により、ロシア、フランス、イギリス、オランダ、アメリカなどの国と自由貿易ができるようになったため、この地に、貿易や外交などに関する事務を行う「湊会所」が長崎会所の一部として設置されました。
 湊会所は、文久3年(1863年)に「運上所」と改められ、のちに現在の市民病院の場所に移り、さらに明治6年(1873年)に「長崎税関」と改称されました。湊会所は、現在の長崎税関の前身です。
※長崎会所:1696年から明治初期まで上町に設置されていた、オランダや中国の貿易に関する業務や幕府の運上銀や市中への配分銀などを管轄する機関
(現地案内板より)


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