天后堂・観音堂
旧唐人屋敷の中にある、天后堂と観音堂です。
所在地:長崎県長崎市館内町12番地
この天后堂の創立は、元文元年(1736年)南京地方の人々が航海安全を祈願し、天后聖母を祀ったのが起源といわれます。
旧唐人屋敷内 天后堂
市指定史跡指定年月日:昭和49年10月15日
所在地:長崎県長崎市館内町12番地
所有者:長崎市
唐人屋敷は、徳川瀑布が鎖国政策の一つとして、現在の館内町に設置した唐人の居住地であり、元禄2年(1689年)に完成しました。この天后堂の創立は、元文元年(1736年)南京地方の人々が航海安全を祈願し、天后聖母を祀ったのが起源といわれます。寛政2年(1790年)重修、明治39年(1906年)に改築し、現在に至っています。
長崎市教育委員会 平成14年1月設置(現地案内板より)
天后堂
天后堂
天后堂
天后堂
観音堂
所在地:長崎県長崎市館内町35番地
元文二年(1737年)に創建、天明4年(1784年)の大火で焼失し、その3年後に再建されました。大正6年(1917年)中国商人鄭永超の手で改築されました。
旧唐人屋敷内 観音堂
市指定史跡指定年月日:昭和49年10月15日
所在地:長崎県長崎市館内町35番地
所有者:長崎市
唐人屋敷は、徳川瀑布が鎖国政策の一つとして、現在の館内町に設置した唐人の居住地であり、元禄2年(1689年)に完成しました。この観音堂は、瓢箪池の奥の石に「元文二年(1737)…」の刻字がされていることから、この年に創建されたものと思われます。天明4年(1784年)の大火で焼失し、その3年後に再建されました。大正6年(1917年)中国商人鄭永超の手で改築され、現在に至っています。
長崎市教育委員会 平成14年1月設置(現地案内板より)