カピタン部屋
カピタン部屋の1階は出島の歴史や生活に関する展示、2階はオランダ商館長の生活の様子などを再現展示しています。
所在地:長崎県長崎市出島
ブラウンとブルーのコントラストが懐かしいような不思議な感じです。一部の窓ガラスは、波打った空気を含んだむかしのままのガラスが使われています。
カピタン部屋
カピタンとは、キャプテン、つまりオランダ商館の館長のことだそうです。ということで、カピタン部屋とはオランダ商館の館長の住居だったのです。
カピタン部屋
商館長のことを日本ではカピタンと呼んでいました。このカピタン部屋は非常に大きな建築物で、商館長の住まいであると同時に、商館事務所やお客をもてなす場としての機能を持つ、出島を代表する建物でした。
1階は商館長の食料と物品の倉庫で、中央に通り抜けの土間があります。屋根付きの外階段や床下を吹き抜き放ちとした涼所など、建築形式にも多くの特徴があります。(現地案内板より)
カピタン部屋
カピタン部屋入口の街灯
欄干
欄干の手摺子部分は、よく見ると変わった形で色も派手です。引き違いの窓障子には板ガラスがはめ込まれています。
昔の窓ガラス
現在のガラスは、きれいな平面ですが、昔のガラスは波打っています。でもそれが味わい深く、懐かしい気がします。
大広間
出島の商館員たちは、昼夕2回、カピタン部屋に集まって、皆で食事をとる習慣になっていました。食事は別棟の料理部屋で調理し、召使いが給仕していました。この部屋はカピタン部屋の中で35畳と最も広く、格式を備えており、日本側の役人などとの応接や饗応の場として特に重要な役割を担っていました。ここでは、クリスマスを祝ったとされる「阿蘭陀冬至」の祝宴風景を再現しています。(現地案内板より)
大広間
大広間では、クリスマスの祝宴風景を再現しています
大広間の鏡
17.5畳の部屋
この部屋は玄関横という位置やカピタン部屋全体の構造から考えて、商館の主要な事務を執る場所であったと考えられます。日本の役人や通訳との商談などもこうした場所で行われたと推定されます。ここでは、文化14年(1817年)12月に行われた、前任の商館長ドゥーフから新しく商館長になるプロムホフへの引継ぎの情景を再現しています。(現地案内板より)
17.5畳の部屋のシャンデリア
17.5畳の部屋の照明器具
ワイングラス
鏡
客間
大広間での宴会風景を描いた絵画には、隣接するこの部屋で笛や太鼓・ビオラを奏でる召使たちの姿がみられます。文政11年(1828年)に福岡藩主の黒田斉清がカピタン部屋を訪問した際の記録によると、奥の涼所を御座所に充て、この部屋には従者や商館長の席が設けられていました。(現地案内板より)
客間の照明器具
丈夫に金色の鳩の飾りが付いています。
涼所
カピタン部屋を描いた絵画の多くには、窓の外に長崎港と停泊するオランダ船が見られます。しかし、カピタン部屋の中で間近に海を望むことができる場所は、この涼所ぐらいでした。建物の中でも最も傷みやすい部分でもあり、修理や改装の記録がたびたび見られます。なお、涼所の修理はオランダ側が負担する決まりで、祝典の際にはバルコニーに装飾が施されました。(現地案内板より)
涼所の照明器具
照明器具も雰囲気がありますね。
窓
窓
照明
窓