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わが国ボウリング発祥の地

日本ではじめてのボウリング場、インターナショナルボウリング場が長崎市内に、文久元年(1861年)6月22日に開場しました。

発祥の地1

わが国ボーリング発祥の地

所在地:長崎県長崎市大浦町2番25号大浦天主堂の下から四海楼へ行く途中にあります。

発祥の地2

ステンドグラスで作ったわが国ボーリング発祥の地の碑

日本最古のボウリング場は、わが国最初の英字新聞であり初の近代活版新聞である「ザ・ナガサキ・シッピング・リスト・アンドアドバタイザー」に文久元年(1861年)6月22日の日付で新装開店の広告が掲載された、インターナショナル・ボウリング・サロンである。この史実をもとに、昭和47年より6月22日をボウリングの日として制定した。(碑文より)

発祥の地3

日本ではじめてのボウリング場、インターナショナルボウリング場が長崎市内に、文久元年(1861年)6月22日に開場しました。日本のボウリング発祥を記念して、本碑を建立する。
現在地:長崎市大浦町2番25号
平成2年6月22日 社団法人日本ボウリング場協会(碑文より)

発祥の地7

グラバー坂にあったボウリング日本発祥の地の石碑

この碑は上記のふたつとちょっとだけ離れたところにありました。 この碑をよくみると、ボウリングの文字の「ウ」の字の前に「ー」になっていたような跡が見られます。ボーリングと書いて、後からボウリングに訂正したのでしょう。

発祥の地6

国際電信発祥の地

明治4年(1871年)長崎―上海(中国)、長崎―ウラジオストック(露国)間に デンマーク系の大北(だいほく)電信会社によって、海底電信線が開通した。これで日本と世界が初めて即時に情報交換できるようになった。ここが最初に設けられた通信所である。(現地案内板より)

発祥の地5

日本最初の缶詰製造の地

明治12年(1879年)長崎公園で開催された長崎博覧会の終了後、県は缶詰試験所を設置、勧業御用係(産業を奨励する役員)に松田雅典を任命しました。松田は金屋町乙名松田家(金屋町の代表者である松田家)を相続、明治2年(1869年)、広運館に在学中に教師レオン・ジュリーから缶詰製造方法を学び、その後研究開発を続けました。明治17年(1884年)、岡試験所の払い下げを受け、松田缶詰所を開きました。なお、松田が最初に作った缶詰はイワシの油漬けとされています。明治30年(1897年)、夫婦川町に移転した後は、跡地に長崎商品陳列所(旧長崎市立博物館の前身)が置かれました。(現地案内板より)

発祥の地4

長崎電信創

長崎全日空ホテルの敷地内に「国際電信発祥の地」「長崎電信創業の地」「南山手居留地跡」の3基の石碑が並んで建っています。


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