正光刃物店
500年以上続く老舗の鍛冶屋さんです。
正光刃物店
500年以上続く鍛冶屋さんです。伝統的な刃物、家庭用刃物・山林刃物・狩猟用刃物・土農具の製造販売を製造販売しています。
正光 蓑田鍛冶工場
所在地:熊本県人吉市鍛冶屋町59
昔ながらの伝統の技を受け継ぎ、一本一本鍛錬される刃物は、切れ味が鋭く、使いやすいそうです。
鍛冶屋町の歴史
城下町形成の過程で商人及び職人の住居区すなわち町人町は、球磨川の北側に設定され、文禄3年(1594年)、整然とした区画に整備して、郡内各地の上人・職人をここに移住させた。職人町は、大工町・鍛冶屋町・紺屋町が定められた。鍛冶屋町には、鍛冶職人を移住させた。
『鍛冶ハ金ヲ主トルヲ以テ金姓也、金ハ西ヲ主トル故西同心ト定メラル、鉄砲組ナリ』とあるように、この町の住人は職人でありながら、鉄砲組として藩軍事力の一部を担い、西同心と称されていた。当町の鍛冶がすべて鉄砲鍛冶であったのではなく、農具・刀を専門とする鍛冶もおり、その最高位に鉄砲鍛冶が位置づけられていた。
現在、町内はもとより市内各所に鍛冶屋があり、職人町の伝統は受け継がれている。(参考文献:『歴史地名辞典』平凡社 1995年人吉市(現地案内板より)
相良藩鍛冶の由来
相良氏は建久年間、鎌倉幕府の地頭として現在の静岡県の遠州相良より下向された。相良藩の鍛冶は遠州の鍛冶技法に当地在来の技法を加えた独特の鍛冶技法である。藩政時代、島津・細川の大藩にはさまれた相良氏は独特の兵団を組織して対処した。独特の兵団・戦術とは平時の時にあっては武士も農耕に従事し、一朝事有る時は農民も武器を取って立つ、兵農一体の軍団である。武具、農機具と山林道具は用途において一つと成り、刀工の技法は即、野鍛冶の技術ともなった。
相良氏は城下に鍛冶屋66軒を奨励し、相良七百年の伝統を守り続けた。現在、鍛冶屋町にはその流れを汲む鍛冶屋は二軒となり先祖が築いた技法を守りつつ新しい技法を導入して今日に至る。(現地案内板より)