小国両神社
小国郷を開拓した高橋の宮・火の宮の二柱、その母神である雨宮を主催神として祀った神社です。
所在地:熊本県阿蘇郡小国町宮原1567-1
御祭神:高橋大神・火宮大神・雨宮媛命・御妃神二座・御親族神十六座奉祀
高橋神と火宮神は、阿蘇国造大神の速瓶玉命と雨宮媛命の子です。
御神徳:生活守護・農林諸業繁栄・祈雨・祈晴・火防・縁結び・武徳必勝・開運厄除 元寇の役で軍将北条公戦勝の祈願や、北里氏租の綿貫石開運勝利の故事による
小国両神社御由緒
社記によれば太古の昔、高橋神・火宮神の御兄弟は父租阿蘇大神より小国郷開拓の命を受け、農耕を起こし、衆庶に衣食住や殖産興業等の生活根源を教え、郷土開発先駆の多大な功績を残された。
この御聖徳と御功業を敬仰し、第16代仁徳天皇の御代に高橋大神を祀り、第18代反正天皇の御代に火宮大神を祀り、これより両神社の御社名が始まったと伝わる古社である。(現地案内板より)
楼門
楼門
楼門
拝殿
拝殿
狛犬阿形
狛犬吽形
手水舎
神紋
三神杉
兄神:高橋大神・母神:雨宮大神・弟神:火宮大神
三本に分かれたそれぞれの木に主祭神の御神霊が鎮まります。
三神杉
三神杉
三神杉の根元
三神杉と楼門と拝殿
三神杉と楼門
楼門
両神社と富くじ
江戸時代の文政元年(1818年)より両神社で「富くじ」を行うことが許された。
この頃、宮原上町(現在の一番街)で造り酒屋を営む湊屋橋本順左衛門は、毎朝早起きして井川(現在のけやき水源)で手を洗い身を清め太古から湧き出る水を祀る水神様に自然の恵みを感謝した。そして小国郷の氏神である両神社へ参拝し、天下の太平と商売繁盛を祈ることを日々の勤めとしていた。
ある日の朝方、湊屋順左衛門は、けやき水源に小さな舟が流れに逆らい入る夢を見た。湊に舟が入ることを吉兆と感じた、順左衛門は富くじを買い、見事に大乙[一番くじ]を当てた。湊屋順左衛門の正夢の話を聞いた、郷内城尾村市郎右衛門は、毎朝一里の道をけやき水源に通い水神様と両神社に[一番くじ]を願って祈り続け心願成就し、両神社富くじと久住宮富くじに四回大乙[一番くじ]を当てたのである。
このことから、両神社の高橋宮・火宮の二祭神は「千両・万両の神様」と呼ばれるようになった。その後富くじは年毎に盛んになり、嘉永より安政年間まで十年間に七十六回も行われたと古文書に記載されている。
明治維新となり、両神社の富くじは無くなったが、今も祈願者に開運招福を授けて下さるのである。
平成15年12月 小国町商工会 (現地案内板より)