繁根木八幡宮
平安中期の応和元年(961年)紀国隆が山城国岩清水八幡宮を勧請し、旧坂下郷総鎮護の社としたと伝えられる、旧郷社です。
所在地:熊本県玉名市繁根木字宮中188
御祭神:応神天皇・仲哀天皇・神功皇后
楼門
建立:江戸時代初期
二層式の楼門・桃山様式
高さ:12m
当宮は平安中期の応和元年(961年)紀国隆が山城国岩清水八幡宮を勧請し旧坂下郷総鎮護の社としたと伝える、旧郷社である。尓来1025年を閲する。紀氏は大野別府の政所として祭祀を管掌する一方降って鎌倉時代には地頭を兼ね大野郷250町歩を領しその勢威を誇ったが天文の頃大野氏は衰亡した。天正16年(1588年)肥後国守として入国の加藤清正公は荒廃した社殿その他の復興に力をいたされ、その後襲封された細川氏も敬神の美風を継承されたので漸次旧に復するを得た。創建当初の遺風を伝える節頭行事は当宮の重要祭儀であり、秋の大祭に氏子区域内の輪番で奉仕されている。
江戸初期に建立された楼門は当宮を代表する建造物で宏荘精巧な偉容は県内稀に見るもので上層の扁額は細川八代藩主重賢公の真筆を安永6年(1786年)掲額された。
又天保6年(1835年)には当地方の五穀豊穣を祈念し同田貫上野介宗広がうった神剣が奉納されている。
此の地は古くから県内五ヶ町の一に数えられ舟運による対外貿易も盛んに早くから文化の拓けたところであり社域の貝塚後方の古墳、補陀落渡海碑等が散在する。
境内2600余坪には欅、楠の老樹が繁茂し荘厳な社地を形成している。
武威殖産の広大な御神徳を景仰し郷民こぞって厚、崇敬を捧げている。
昭和61年5月 (現地案内板より)
楼門から拝殿
拝殿
拝殿
扁額
楼門上層の扁額は細川八代藩主重賢公の真筆を安永6年(1786年)に掲額されました。
扁額
本殿
本殿軒下の彫刻
阿形
本殿軒下の力神像
阿形
本殿軒下の力神像
阿形
本殿軒下の彫刻
吽形
本殿軒下の力神像
吽形
本殿軒下の力神像
吽形
参道と鳥居
楼門
楼門の彫刻
楼門の龍の彫刻
楼門の飛龍の彫刻
楼門の龍の彫刻
楼門の獅子の彫刻
楼門の獅子の彫刻
楼門の獅子彫刻
楼門の波とうさぎの彫刻