松合の町並
古くから栄えた港町です。今も残る白壁土蔵造りの屋並みが往時の繁栄を偲ばせます。宇土半島の南側に位置し、八代海に面しているため、天草、島原などが見えます。
土蔵白壁の町 松合
松合は港と醸造で栄えた町です。
深い入江に臨んだ松合は、古くから宇土南浦の港町として知られていました。気候温暖で清冽な湧水に恵まれているため、醸造も盛んに行われ、江戸時代には万屋、財布屋、阿波屋、新酒屋といった造酒屋が千石近い酒を生産していました。これとは別に、廻船や相模物(海産加工品)を手がけたり、中には中国向俵物の鱶鰭や煎海鼠を扱って財をなした家もありました。
松合は又、昔から家事の多いことでも知られています。三方山に囲まれ、人家が密集していることから、火事の度に大きな被害をうけました。その為、代々の惣庄屋は被災住民の救済と防火対策に心を砕いています。まず、海岸に居屋敷新地を作って住民を移し、跡地は火除道とし、辻々には井戸を掘って火事に備え、町筋には土蔵・白壁の家を配して防火を図るなど、当時としては斬新な防災都市造りを行っています。この町割りと平行して、舟溜りと波止塘を設けて港を整備しました。この工事が完成するのは安政2年(1855年)で、以後、松合は肥後随一の漁港として繁昌します。
明治維新後、更に松合は飛躍的な賑わいを見せます。入船干艘といわれ、天草や島原を始め、遠く五島、薩摩からも魚が水揚げされていました。然し、この賑わいも明治32年(1899年)の三角線開通と際崎港の竣工で消え、松合の魚問屋の多くが、三角などへ転出したこともあって、港は急速に衰退します。
一方、藩政期に盛んであった酒造業は、醤油醸造に代わり、新たに大宅、天満両家が参入したこともあって、松合は醤油の町にかわります。それと共に県下でも有数の大地主層の輩出を見るのですが、その要因は、地租改正と社会構造の変化によって、地主層への土地集積がなされたことによるものと思われます。この状況は、戦後農地解放の時まで続きました。(現地案内板より)
松合郷土資料館 鏝絵
土蔵白壁造建物の妻壁側上部に漆喰で描かれたレリーフがあります。松合の図柄は太陽・雲・水・花などが多いのですが、他の地域では「鏝絵」と呼ばれ、二階の戸袋などの外面に色付けされた絵画的な漆喰彫刻が見られる家があります。鏝絵は左官技術の極致とされていますが、この創始者は江戸時代の左官職人で伊豆松崎出身の「入江長八(1815年~1889年)」と伝えらえています。(松合パンフレットより)
松合郷土資料館
所在地:熊本県宇城市不知火町松合
明治時代建造の建物をそのまま活かし、民具やこの地の繁栄を偲ばせる商家の什器などを展示しています。
松合郷土資料館
松合の町並み保存会 綿屋
天満屋本店
肥後松合 下萬屋
所在地:熊本県宇城市不知火町松合1845-3
営業時間:11:00~14:00
営業日:土日のみの営業
松合の海老でダシを取ったスープに、一晩熟成させたツルツルもちもちのだご、ダシのうまみが染み込んだ野菜たっぷりの「海老入りダゴ汁定食」を土日限定で提供しています。
下萬屋
肥後 本船津屋
肥後 本船津屋
肥後 本船津屋
肥後 本船津屋 大黒さんの瓦
大黒さん
肥後 本船津屋
綿屋
西区
阿波屋
不知火町松合ビジターセンター
所在地:熊本県宇城市不知火町松合141番地
開館時間:10:00~17:00
休館日:月曜日・木曜日(ただし祝日の場合は翌日)・12/28~1/4
散策のアドバイスや昔の話なども聞ける、「旅人の相談所」です。
厚く塗られた土蔵造の壁は密閉性に優れ、何層にも塗重ねられた漆喰壁の耐熱力はコンクリート壁同等であると言われる。特に蛎灰を使ったものが最良とされ、火災のときに水をかけると炭酸ガスを発生して火力を弱める働きがある、とも言われています。(松合パンフレットより)
三一の鏝絵
松合郷土資料館
松合郷土資料館
松合郷土資料館
〇窓
5窓