川尻船着場
江戸時代、船荷の積み下ろしのために設けられた船着場です。
所在地:熊本県熊本市南区川尻
潮の干満や水量の増減に影響を受けないように、長さ150mに渡って、13段の石段が築かれています。明治初期の記録では、年間1000艘を超える商船が行き来したと云われています。
川尻御蔵前の船着場
川尻は肥後藩の軍港で年貢米の集積、積み出し港でした。ほとんどの年貢米は、水運を通じて飽田・詫麻・益城・宇土の四郡十八手水から二十万俵が川尻御蔵に集められました。その年貢米の荷揚げや船積みのために設けられたのが、この船着場です。潮の干満や水量の増減に影響を受けないように、長さ150メートルにわたって13段(後に段積み増す)の石段を築き上げて、所々に船繋ぎ石を設けており、当時は大勢の労働者で賑わっていました。
明治に入り、年貢米が廃止された後、御蔵は米券倉庫として活用されました。しかし、加瀬川筋の堀替えによって川筋は浅くなり、また陸上運送の時代を迎えると船着場は衰退の一途を辿りました。 熊本市(現地案内板より)
旧船着場
通称御蔵前
藩政時代、年貢米を収納する為、肥後細川藩では六ヶ所の一つとして「川尻御蔵」と称する米倉が設けられ、現在の公会堂付近に東蔵、その西に中蔵、外城町にかかる所に外城蔵があった。
細川氏、加藤清正以前約1400年前より、肥後最古の港として使用されていた。最近迄砂利揚げ天草からの薪の陸揚げ等行われていた。
延長150mに及ぶ船着場は潮の干満を考慮して13段の石段が設けてある今もその旧態がこの様に残されている。(現地案内板より)
鉄橋とSL人吉
赤い鉄橋をSL人吉が走っています。