川尻の町並
緑川や加瀬川沿いに位置していて、古くから港町や宿場町として栄えた町です。川尻の港は、中世以来貿易港としても栄え、近世期には加藤家・細川家の軍港として、また、藩の年貢米の集積・積出港としても栄え、川尻は熊本藩の主要な町として、五ヶ町の一つとされていました。
肥後川尻桶
肥後川尻桶の製作は、さわらの原木の切り出しから、磨き上げまですべて手作業で行われます。熟練の職人が造りだす微妙な曲線と直線のバランスは、見事です。水分を吸収したり、乾燥したりすることによって、膨張と縮みを繰り返す木材を熟練の技で自由自在に操ります。
くまもと工芸会館
所在地:熊本県
開館時間:9:00~17:00
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)・12/28~1/4
くまもと工芸会館
人々の暮らしの中に生き続けてきた伝統工芸。新しく生まれた創作工芸。生活に根差した熊本の工芸品を、見て・触れて・創作して、その知恵や工夫を学ぶことができます。館内の床には熊本特産の宇土石が敷かれるなど、熊本の魅力があふれています。(現地案内板より)
菓舗 梅園
所在地:熊本県熊本市南区川尻4丁目6-20
営業時間:9:00~20:00
定休日:水曜日
御菓子司 たてやま
所在地:熊本県熊本市南区川尻4丁目1-43
営業時間:9:00~20:00(日曜日のみ18:00まで)
定休日:元旦・1/2
開懐世利六菓匠
開懐世利六菓匠は、平成2年に、川尻町の天明堂・菓舗いしはら・立山菓舗・菓舗梅園・菓舗かずさや・岩本菓舗の6軒の和菓子店が、新しい銘菓を作ろうと集まったのが始まりです。6軒の和菓子屋で、和菓子と町おこしを結びつけた活動を行っています。毎年2月に、川尻町のくまもと工芸会館で開かれる「お菓子とのふれあい工房」では、工芸菓子・盆景菓子の展示、和菓子の制作実演やお茶席などがあります。
富乃湯
所在地:熊本県南区川尻町中町683
レトロな銭湯です。
明治十年戦役南洲翁本営跡
西郷隆盛ら明治政府に対する不平士族の最大かつ最後の内戦となったのが西南戦争です。
明治10年2月15日大雪の中、鹿児島を出発した薩軍は、2月20日先鋒隊が川尻に到着し、翌21日には西郷も到着しました。西郷はこの地に宿営し、ここに「新政大総督、征伐大元帥西郷吉之介」の表札をかかげ、熊本城攻撃のための本陣を置きました。(現地案内板より)
明治十年戦役南洲翁本営跡
明治10年2月西南の役で川尻に着陣した西郷は、「新政大総督西郷隆盛」と大書した表札を掲げここに本営を置いた。西郷は陸軍大将の大礼服を着け、その様子は漢の高祖が関中に入りたる如しと川尻史は伝えている。(現地案内板より)
今村邸
所在地:熊本県熊本市南区川尻四丁目9-21
築年代:江戸末期
木造2階建
塩飽屋(今村邸:平成7年9月1日 熊本市指定景観形成建造物 指定第1号)
川尻の打刃物
川尻刃物は割込み鍛造という方法で作られています。地金(極軟鉄)に良質の鋼を挟み込んで、手打で鍛え上げるもので、切れ味、耐久性に優れ、重厚な美を備えています。戦前には50軒ほどの鍛冶屋がありましたが、現在は2軒になっています。
町衆番所
川尻交番の敷地内に「町衆番所」の暖簾が掛かっていました。川尻町内の有志パトロール隊の集合場所だそうです。
木村政彦を育てた道場跡
木村政彦は、川尻町出身の柔道家で、後にプロレスラーに転身しました。柔道の段位は講道館柔道七段。「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と言われた、今でも史上最強の柔道家と呼ばれています。
木村政彦は、大正6年(1917年)に現在の熊本県川尻町に生まれ、少年時代ここにあった道場で修行しました。中学時代に柔道四段となり、全国中等学校大会で優勝、その後、学生選手権大会、明治神宮大会高専の部で相次ぎ優勝しました。全日本選士権大会専門の部でも昭和12年(1937年)から3年連続日本一となり、15年の展覧試合にも優勝、第二次大戦後復活した全日本選士権大会第二回大会でも勝利を収めました。彼は、これらの素晴らしい戦績から不世出の士と讃えられ、伝説の格闘家として今尚広く尊敬されています。柔道七段(現地案内板より)
熊本市立川尻小学校
明治7年(1874年)小学校令が出て、お寺が利用された。翌明治8年河陽学校(小路町)河東学校(大渡町)が建った。明治36年9月校舎を新築し、現在の地に移転した。
川尻商店街連合会 文・熊本市南郡地域歴史研究(現地案内板より)
三三の池
昭和33年の卒業生が記念に造った池です。みんなが美しい心をいつまでも持ち続けて欲しいという願いが込められています。(現地案内板より)
路あかり
えびす
肥後しゃくやく
肥後ぎく
肥後つばき
肥後さざんか
肥後はなしょうぶ
肥後はなしょうぶ
肥後しゃくやく・モノクロ
熊本市マンホールの蓋
わんこ