本願寺人吉別院
相良藩によって360年以上、一向宗(真宗・浄土真宗)の教えが禁じられていた人吉・球磨地方に、明治11年(1879年)、一向宗解禁後初めて作られた浄土真宗の寺院です。
所在地:熊本県人吉市七日町25
かくれ念仏の里
一向宗(真宗・浄土真宗)一揆と云うのは、室町幕府の末、諸国の紛乱に乗じて本願寺門徒達が地方の豪族と争いを起こした乱です。
相良藩は、肥後の諸地との交渉がなく地理的に南接する薩摩藩と深く関係がありました。ですから、宗教政策も薩摩に従って一向宗(真宗・浄土真宗)の念仏禁制を布くに至りました。
一向宗を信仰して居る人々は見つかると捕えられきびしく罰せられましたが、それでも信者達は隠れて命がけで念仏を唱えました。
記録によると第13代相良長毎公の永世年間に禁じられ、明治9年9月5日の禁制が解かれるまで実に三百六十有余年の永きに亘って、きびしい圧制にしいたげられました。(現地案内板より)^
本願寺 人吉別院
真宗禁制解禁第一号の浄土真宗寺院で、明治11年(1878年)、現在地に「本願寺人吉説教所」として竣工しており、これが人吉別院の創建です。明治36年に「光尊寺」と改称し、本山別院と定めて地方庁の許可を得ました。その後、大正8年11月21日に認可され「本願寺人吉別院」と改称、現在に至りました。
当別院の御本尊は、京都・勝満寺の息で、一条・浄教寺の住職でもああった能化(現在の勧学にあたる)智洞師の所宝を、本山より明治36年に御下附になった由緒ある阿弥陀仏像です。
境内には親鸞上人の石像、歌碑(共に「無憂華会」建立)、三田源七老の名号碑等があります。(現地案内板より)