老神神社
老神神社(おいかみじんじゃ)は、江戸時代のはじめに、人吉藩主相良長毎とその子頼尚によって相良氏一族の産宮として再興された神社です。
所在地:熊本県人吉市老神町22
御祭神:(鹿児島県 霧島神宮同体)
瓊瓊杵尊(ニニギノミコト・天照大神の御孫・天孫降臨の神)
木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト・瓊瓊杵尊の御妃)
彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト・瓊瓊杵尊の御子[山幸彦]
豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト・彦火火出見尊の御妃 ※大綿津実神(オオワタツミノカミ[海神])の娘
火須瀬理命(ホスセリノミコト・瓊瓊杵尊の御子)
火照命(ホデリノミコト・瓊瓊杵尊の御子[海幸彦])
御鎮座:大同2年(807年)
祭禮日:11月26日
老神神社本殿、拝殿及び神供所は、平成2年9月11日に、国指定重要文化財に指定されています。
御由緒
現在の御社殿は、江戸時代初期の寛永5年(1628年)相良二十代長毎の命により、ご造営されたものです。これより以前、この場所は球磨川に面した山深き所で、その中に小さな祠があるだけでしたが、相良一族が古来より御産宮と信仰してきた神社であり、寛永の初め山を開き平坦な地とし、このような立派な社殿が造られたといわれています。
本殿は、茅葺きの覆屋に護られた正面三間の、球磨地方には珍しい入母屋造りで、正面、左右の三方に高欄つきの縁をめぐらせ、内陣には円柱が用いられています。
柱頭には禅宗様式の組み物、壁には花鳥の彫刻が施され、特に左右脇の間の虹梁に鬼が座り屋根を支えている姿はたいへん珍しく、優れた意匠であることから、昭和37年に県の重要文化財に、平成2年には国の重要文化財に指定されています。(現地案内板より)
老神神社は霧島神社を勧請したと伝えるが、創立年代は不明。現在の本殿は、江戸時代のはじめの寛永5年(1628年)人吉藩主相良長毎とその子頼尚によって相良氏一族の産宮として再興されたもの。拝殿および神供所は元は茅葺きの鍵屋になっていたものを、近代に切り離したもの。藩主の産宮として造営されたため、漆塗り、彩色を施した豪華な造りに加えて、嵌め板等の細部にこの地方特有の意匠が見られ、球磨地方を代表する江戸時代前期の神社建築として価値が高い。(現地案内板より)
狛犬阿形
狛犬吽形
虹梁に座る鬼
左右脇の間の虹梁に鬼が座り屋根を支えています。
虹梁に座り、屋根を支える鬼
釘隠し
八角形の石燈籠
神社の燈籠は普通は参道を挟んで一対で建てられている。しかし、この燈籠は参道の真ん中に建てられ、神域との結界を表示する人吉球磨には類例のない珍しい建て方であり、京都、楢の社寺に見られる燈籠の配置と同じである。また、灯籠は四角、六角、円形の形式が多いが、この燈籠は基礎から笠まですべて八角形である。八角形の灯籠は他に青井阿蘇神社に建立されている。青井阿蘇神社は江戸の中期になると、神仏習合の信仰から吉田神道の信仰形式に改められた。その際京都の吉田神道と関係の深い八角形の形式を燈籠に用いたと思われる。因みにこの燈籠の銘文は「奉寄進 板屋 寛永3年(1750年)庚午10月」である。(現地案内板より)