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藍のあまくさ村

巨大な天草四郎像が目印です。

藍のあまくさ村1

所在地:熊本県上天草市大矢野町登立910
営業時間:9:00~18:00
店休日:12/31・1/2
うまかもん市場、島cafe、四郎広場などがあり、食事やお買い物や休憩ができます。

藍のあまくさ村2

四郎広場

藍のあまくさ村では島原の乱で犠牲となった尊い命を弔うため、毎年2月28日には『供養祭』を開催しています。多くの方による献花や合同慰霊などが行われ、先祖供養を地元の皆様で行っています。

藍のあまくさ村3

龍神の手洗い場

藍のあまくさ村4

天草四郎像

高さ15mある、日本一大きな天草四郎像です。

藍のあまくさ村5

天草四郎時貞

本名は益田四郎時貞です。元和7年(1621年)にキリシタン大名小西行長の遺臣である、益田甚兵衛の子として母の出身である天草の大矢野島で生まれたと云われています。天草・島原一揆(島原の乱)の総大将として活躍しました。

藍のあまくさ村6

天草四郎像と弁財天

藍のあまくさ村7

天も地も根は同じで全ての物は一躰であるように、総ての人々を貴いとか賤しいとか身分の差別をしてはならない。人間みな平等である。これは原城から幕府へ示した四郎の矢文の巻頭言であるが、日本のみならず世界の平等思想の古典的名言で、人類へ向けてのアピールであり、メッセージである。
2007年2月28日「西海の乱と天草四郎」著者 鶴田文史(碑文より)

藍のあまくさ村8

天草四郎時貞略記

今を去ること350余年前、島原領主松倉勝家、天草領主寺沢堅高、両領民に対して厳しく切支丹弾圧、過酷な虐政により天草島原の乱おきる。
この両一揆軍の総帥に推されて若年15歳の天草四郎時貞が指揮をとりますが、四郎のふるさとは大矢野であります。四郎は大矢野越之浦出の益田甚兵衛好次と大矢野維和島出の丸太(教名)との一子として生まれました。父甚兵衛好次は元キリシタン大名小西行長に仕えておりましたが、小西行長が関ヶ原合戦に敗死したので浪人となり、宇土、長崎方面にも転々として移住したと伝えられております。益田家は大矢野地方大庄屋渡辺家や近隣の庄屋家とも縁続きの素封家であったと記録されております。(大矢野町史より)
四郎は両親の薫陶よろしくを得て、「耶蘇天誅記」等に幼にして「儒・仏・神の三教を明らめ、詩をつくり、歌を詠み、弁舌流るる如し…」等称嘆の言述がなされ、用紙美麗で天童として誉がたかかったことが偲ばれます。一揆軍は四郎を基に団結し、幕軍12万4千人に対し、緒戦は善戦するも籠城すること90余日、兵糧尽き、寛永15年2月28日老若幼男女3万7千人原城の露と消えました。世界戦史上かつてない悲惨な悲運であります。
世の子もつ親として幼き子供達まで斬死を受けた惨状を偲ぶとき、慟哭の感禁じ得なくただ冥福を祈るのみである。
平成2年10月1日 大矢野町郷土史研修同好会員 川上昭一郎 謹書(現地案内板より)

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藍のあまくさ村10


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