歴史公園 鞠智城
紹介文
所在地:熊本県山鹿市菊鹿町米原443-1
鞠智城は、7世紀後半(約1300年前)に、大和朝廷が築いた山城です。当時アジアの政治的情勢は、非常に緊張していました。日本は、友好国であった百済を復興するため援軍を送りましたが、663年の白村江の戦いで、唐と新羅の連合軍に敗北しました。このため、事態は急変し、直接日本が戦いの場となる危険が生じました。そこで九州には、大宰府を守るために大野城(福岡県大野城市)、基肄城(佐賀県)、金田城(長崎県)が造られました。鞠智城は、これらの城に食料や武器、兵士などを補給する支援基地でした。(鞠智城パンフレットより)
八角形鼓楼
八角形の建物で、歴史公園鞠智城のシンボルです。
高さ15.9m、最大幅8.2m、重さ約76トンの瓦が載る建物です。鼓の音で時を知らせたり、見張りをしたりするための八角形鼓楼として復元されました。
三層造りで、1層目の柱数は49本(芯柱を含む)、2層目と3層目には各16本の柱があり、76トンの屋根の重みを支えています。中心部に通る芯柱は最上部のみで接合し、振り子のように地震の揺れを吸収し、絶妙なバランスを保ち建物の倒壊を防ぐ、塔建築の技術を再現しています。
建物は、斗と肘木を組み合わせて建築されています。
鞠智城公園内には、八角形鼓楼の他にも、米倉、兵舎、板倉などの建物が復原されています。
この建物には階段がありません。必要に応じて梯子で上り下りするそうです。
瓦
瓦の葺き方は、平瓦を並べその隙間を丸瓦で覆う方式と考えられています。現代ではこれを簡単にした桟瓦が広く普及しています。
軒丸瓦
軒丸瓦には子葉のない蓮の花の模様が施されています。これは単弁八葉蓮華文と呼ばれ、朝鮮半島の様式を受け継いでいると考えられています。
建物に使用している木材は、全て熊本県産材で、そのほとんどは檜を使用しています。
ころう君
鞠智城のイメージキャラクター、ころう君です。