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八千代座

八千代座は、明治43年12月竣工の江戸時代の伝統的な芝居小屋様式を今に伝える建物です。

八千代座1

所在地:熊本県山鹿市山鹿1499番地
様式:和風、木造2階建、正面は櫓形式、入母屋造り妻入、桟瓦葺大屋根、小屋は木造の洋風
面積:1階1120.40平方メートル(約340坪)
2階381.64平方メートル(約116坪)
奈落78.69平方メートル(約24坪)
舞台:間口17.2m・奥行105m・中央に直径8.4メートルの廻舞台がある。花道と廻舞台にはセリを設ける。
定員:1274名
総工費:20.951円78銭8厘

八千代座2

明治43年(1910年)当時の山鹿は菊池川の水運、豊前街道を利用した水陸交通の要所で、物資の集散地、屈指の温泉場として賑わっていました。その頃、山鹿の旦那衆が劇場組合を作り、町の繁栄を図るために1株30円の株を募って八千代座を建てました。設計・工事監督は回船問屋の主人で灯籠師でもあった木村亀太郎です。木村亀太郎は、東京の歌舞伎座や各地を見学し、上海にも渡り、洋式工法の長所も取り入れました。

八千代座3

太鼓櫓

屋根裏を通り、大人一人がやっとくぐれる穴を抜けると、正面の妻壁に太鼓櫓があります。こけら落としの写真には毛槍が2本突き出しています。昔はここから町中に櫓太鼓が響いて、芝居があることを知らせていました。(八千代座パンフレットより)
現在も公演がある日は、写真の様に2本の毛槍が突き出しています。

八千代座4

八千代座

八千代座は江戸時代の芝居小屋の姿を残した全国でも数少ない貴重な文化遺産である。ます席、桟敷などの客席構成や人力でまわす廻舞台、花道、すっぽんと呼ばれるセリなどの舞台機構は日本の伝統的な様式を伝えている。明治43年に当時の山鹿の実業界有志が出資して建設した。明治44年1月にこけら落しの歌舞伎が上演された。以来、昭和48年頃まで数多くの芸能人、演奏家などが舞台に立った。世相の変遷により13年あまり閉鎖されたために老朽が進んだが文化遺産保存の盛り上りと共に昭和63年12月国の重要文化財に指定された。(現地案内板より)

八千代座5

明治44年(1911年)1月のこけら落としから、多くの役者・歌手・演者の方々を迎え、様々な公演を開催してきました。

八千代座6

木村亀太郎

木村亀太郎は回船問屋の主人であり、灯籠師でもあり、八千代座の設計・工事監督もし、広告絵も描き、小屋の支配人を40年近く務めた興行主でもありました。また、女学校や製糸工場なども設計しています。木村亀太郎は多彩で、研究熱心で、行動力がある方でした。

八千代座7

木造2階建の瓦の数は、直接雨を受ける部分だけで約27,000枚あります。これに鬼瓦やノシ瓦を含めると全部で約33,000点になります。瓦の総重量は約78トンもあります。

八千代座8

2階の屋根瓦

白漆喰の破風、正面に櫓を備えています。昭和62年に新しい桟瓦に葺き替えられていますが、玄関上の庇の瓦だけは古い瓦千五百枚を使っています。櫓には天井裏から出入りできる小さな戸があります。

八千代座9

八千代座10

八千代座11

木戸口

八千代座12

木戸口

八千代座13

木戸口

八千代座14

木戸口の内側

八千代座15

木戸口

八千代座16

八千代座17

ヨの字を八つの千の文字が囲んでいます。

八千代座18

2階から

八千代座19

八千代座20

中庭

八千代座21

チヨマツ

八千代座のイメージキャラクター、チヨマツです。八千代座舞台背景の松羽目をモチーフにしているそうです。

八千代座22

千代松

山鹿市の八千代座のイメージキャラクターです。

八千代座23

山鹿市のゆるキャラ、Chiyomatsu

八千代座24

千代松は、八千代座の紋が入った裃を着ています。

八千代座25

八千代座の紋

カタカナのヨの周りを八つの千の字が囲んでいます。


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