豊前街道・菊池川・惣門
山鹿市は江戸時代、交通の要衝、お米の集散地として栄えた町です。豊前街道沿いには、米問屋、酒蔵、味噌蔵などが軒を連ね、ねずみ色の漆喰が印象的な町並みです。
菊池川
江戸時代、交通の要衝、お米の集散地として栄えた山鹿。菊池川流域の平野は豊富な水と肥沃な土地に恵まれ、昔から米作りが盛んでした。それらの米は豊前街道を通って山鹿に集められ、菊池川から水路によって、大阪へと運ばれて行きました。
菊池川水運と山鹿
菊池川流域に広がる肥沃な平野は、昔から米どころとして知られており、ここで生産された米は菊池川から大阪まで運ばれ、天下の米相場を左右したと伝えられています。
菊池川を利用した水運は物流の大動脈として発展しました。そのため山鹿は米等の物産の集散拠点としても栄え、河畔には米を船積みするための「俵転し」も造られました。
豊前街道には、当時、米を材料とした造り酒屋が糀屋等が建ち並び、今もなお古いまちなみにその面影が残っています。(現地案内板より)
惣門
菊池川沿いの米の集約地として発展した街の入り口を開閉した門です。
菊池川惣門
惣門
豊前街道は、熊本城内・札の辻を発ち、山鹿・南関・瀬高・久留米・田代を抜けて終点の豊前小倉へ向かう全行程42里(約168km)の旧道(旧山鹿町内約1.3km)である。肥後細川藩・薩摩島津藩・人吉相良藩の参勤交代のルートでもあったが、その途中にある山鹿の地は、菊池川の水運をりようして周辺から多くの農産物が集まり、良質の温泉が湧き出ていたため、宿町・湯町として賑わいを見せた。そのため、今でも古い商家が残っている。
明治時代になると、当時旦那衆と呼ばれた人達がその財力と郷土愛の証として、和洋の建築様式・技術を駆使した芝居小屋・八千代座のほか、道後温泉を模したと言われる桜湯などを建設していった。このように、豊前街道を軸とした中心市街地に歴史的・文化的な建物と物語が今なお息づく山鹿は、散策する人に多くの感動をもたらしてくれる。ここは、その新たな発見へのスタート地点である。(現地案内板より)
豊前街道
惣門から直ぐの豊前街道です。
豊前街道
菊池川惣門からすぐの所にある千代の園酒造がある通りです。白い煙突と美しい瓦、江戸時代の造り酒屋の面影を今に残しています。
木屋本店
しびんちゃ館
所在地:熊本県山鹿市山鹿1815-3
明治初期に建設された千代の園の倉庫をリニューアルした建物です。アールデコ調の擬洋風の趣がある建物です。「しびんちゃ」の名は、菊地川流域に生息する川魚「ニッポンバラタナゴ」の山鹿での呼び名で、一般公募により決まりました。
菊池川流域情報交流館
しびんちゃ館は、菊池川流域の情報を発信するための施設です。菊池川の歴史、文化、環境などを紹介したパネルやビデオのほか、ミニ水族館(水槽)を見ることができます。
しびんちゃ館
中村薬品
ねずみ色の漆喰、なまこ壁、独特の趣があります。
中村塗料店・中村薬局
平入り切り妻の建物。明治末期は二軒の商家であったが、屋根下地の形状や土葺き厚が部分的に深い為、三棟の建物を一体化したと推測される。表部分には古瓦やブリキ製の桶を使用し、歴史感を残して街並みの調和を図る。又内部は既存天井を撤去し、二階床板を一階天井兼用とし、構造体より山鹿らしさを感じられるように配慮。道路高さの変更により建物内に水が浸入する事が今後の問題点。(現地案内板より)
中村塗料
所在地:熊本県山鹿市山鹿1805
鼠色の漆喰
原文具店
本田邸
本田邸(旧町名は西惣門)。江戸時代の建物。江戸天保13年(1842年)の絵図にもその輪郭を残している。山鹿有数の商家であり米問屋、造り酒屋と変革を遂げる。
正面右側の増築及び、正面下屋部分の切縮めは道路拡幅の為であり、大正12年頃と考えられる。豊前街道有数の豪商であり、玄関柱には馬を繋いだ金具も残っている。外壁はその長年の歴史の為、四層に塗重ねてあり、建具は繁栄当時の形式に修景した。(現地案内板より)
本田邸
本田邸
本田邸
本田邸
本田邸
本田邸
右手前が本田邸、左は木屋