山鹿温泉
平安中期(930年頃)から続く歴史がある温泉地です。
所在地:熊本県山鹿市
泉質:アルカリ性単純泉
効能:神経痛・リウマチ・胃腸病など
平安時代の文献「和名抄」にも温泉郷として登場し、1000年以上の歴史があります。「山鹿千軒たらいなし」と唄われるほどの豊富な湯量と、まろやかで柔らかい泉質が山鹿温泉の特徴です。
あし湯
所在地:熊本県山鹿市山鹿1565-2
湯の端公園内にあります。
利用時間:8:00~22:00
利用料:無料
山鹿温泉の由来
山鹿千軒たらいなし…と唄われるほど豊富な湯量をたたえる山鹿温泉は、今から800年ほど昔、手負いの鹿が沼で傷を癒しているのを見て、温泉の存在が知られたといわれていますが、実際の歴史はもっと古く、平安時代に書かれた和名抄の中にも肥後の国山鹿郡の温泉郷として出ており、千年以上の歴史があります。
泉質はアルカリ単純泉で、ラジウムを含み、無色透明・無味無臭であり、まろやかで柔らかい肌触りは、乙女の肌に例えられるほどです。
効能:神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・うちみ・くじき・慢性消化器疾患・痔痛・冷え性・病後回復期・疲労回復(現地案内板より)
湯の端公園
山鹿温泉
江戸時代に山鹿湯町の山下甚左衛門が書いた「鹿郡旧語伝記」には、山鹿温泉発見について、保元の乱(1156年)に敗れ、菊池の菊池家に預けられた宇野親治公が、保元2年(1157年)、山鹿で鹿狩りをしていたとき、傷ついた鹿が湯浴みしているのを見て、この地に温泉があることを発見したと伝えられています。
しかし、平安初期(934年頃)、源順によって著された「和名類聚抄」には、山鹿は温泉郷として紹介されているので、今から約千年前から温泉地として有名であったことが伺えます。
江戸時代、熊本城主の細川忠利は、山鹿の温泉が大変気に入り、御茶屋を新築しました。御茶屋とは、藩主や瀑布の上使、賓客の宿泊にあてられる細川氏の休泊施設をいいます。御茶屋は、寛永17年(1640年)10月には完成し、13代将軍足利義輝の子、足利道鑑と剣豪の宮本武蔵を招待したことが、細川藩奉書(永青文庫蔵)に記録されています。そのとき武蔵は、山鹿温泉に入ったものと思われます。温泉は身分によって入るところが区切られており、殿様や藩の重役が利用する御前湯、家臣用の御次湯、それから、一般平民が入る男女混浴の外湯と分かれていました。
明治になると明治3年(1870年)と明治31年の二回にわたり山鹿温泉の大改築が行われ、桜湯、紅葉湯、松の湯等が造られました。現在の桜湯入口の唐破風の屋根は、明治31年の大改修の姿のまま残しており、当時四国の道後温泉を建設した大工の坂本又八郎を山鹿に招き造られせたものです。
明治42年、県下では、日奈久温泉、阿蘇地方の温泉、山鹿温泉は、大坂の岡本増進堂発行の全国の温泉番付に出ており、山鹿は西前頭五枚目となっています。阿蘇は西前頭三枚目、日奈久は西前頭三十四枚目で、実に多くの温泉客が山鹿を訪れました。(現地案内板より)
宮本武蔵像
御茶屋は、寛永17年(1640年)10月には完成し、13代将軍足利義輝の子、足利道鑑と剣豪の宮本武蔵を招待したことが、細川藩奉書(永青文庫蔵)に記録されています。
旧さくら湯の唐破風
旧桜湯入口の唐破風の屋根は、明治31年の大改修の姿のまま残しており、当時四国の道後温泉を建設した大工の坂本又八郎を山鹿に招き造られせたものです。