山鹿灯籠民芸館展示物
山鹿灯籠民芸館内には、多数の山鹿灯籠が展示されています。
所在地:熊本県山鹿市九日町1606-2
開館時間:9:00~18:00
休館日:年末年始
山鹿灯籠の由来
山鹿灯籠で有名な大宮神社は、景行天皇が茂賀の浦(南島・千田一帯)の八頭の大亀を討ち、震岳(上吉田・津留)の賊徒を平らげられた際の行宮跡といわれています。なるほど境内からは古墳時代の土器片が出土し、祭神が阿蘇大明神と景行天皇であることも、この地の歴史の古さを物語っています。
山鹿灯籠のいくつかの由来の中で最も人々に知られているは、山香の里人が松明をかかげて景行天皇をお迎えしたという故事です。濃霧の中での天皇(訪問者)と里人とのほのぼのとした交流が松明の光に象像されているからでしょう。遠い昔のドラマが山鹿灯籠として、また灯籠祭りとして今日在ることに私たちは底知れぬ感動を覚えます。
お寺の行事にまつわる話もあります。当館を出て北へ70m程先の左手に中国風の石門があり、その門を通り、さらに右へ折れると金剛乗寺があります。文明5年(1473年)3月、温泉が枯渇した時、大祈祷によって湯を祈り出した同寺宥名法印の追善に使用した紙灯籠を起源とする説。その後、同寺の支配下にあった大宮神社の神納行事に発展したという説。いずれも明和年間(1764年~1771年)に書かれた「金剛乗寺由来記」による説話で、室町時代の神仏混淆の様子をかいま見る思いがします。(現地案内板より)
山鹿灯籠
山鹿灯籠は、木や金具を一切使わず、和紙と少量の糊だけを使い、大変精巧に作られた、世界に誇れる伝統工芸品です。その歴史は古く、室町時代(1392年~1573年)の金灯籠に始まり、今日においては、神殿造り、座敷造り、城造りなどと多様化しています。(現地案内板より)
法隆寺金堂
国宝の「法隆寺金堂」は、飛鳥時代に建立された、世界最古の木造建築で、間口5間、奥行4間の重層入母屋造の建物。堂内には、法隆寺の御本尊が安置され、聖徳太子の為に造られた金銅釈迦三尊像などの国宝が祀られている。所在地:奈良県生駒郡斑鳩町(現地案内板より)
法隆寺五重塔
奈良県生駒郡斑鳩町にある、聖徳宗の総本山。別名:斑鳩寺(いかるがでら)。聖徳太子こと厩戸王ゆかりの寺院。
塔はストゥーパともいわれ、釈尊の遺骨を奉安するためのもの、仏教寺院において最も重要な建物。
高さ約31.5メートル(基壇上より)、わが国最古の五重塔として知られている。所在地:奈良県生駒郡斑鳩町(現地案内板より)
祐徳稲荷神社
宮造り燈籠
全国の著名神社を造った燈籠。屋根のそりを美しく表現するのが燈籠師の腕の見せ所です。(現地案内板より)
熊本城
54万石の城下町・熊本のシンボルであり、日本三名城の一つと数えられる。天正16年(1588年)肥後藩国の領主として熊本に本拠地を置いた加藤清正によって築城。自然の地形を巧みに利用した独特の築城技術がみられ「武者返し」と呼ばれる美しい曲線を描く石垣は有名。平成19年(2007年)熊本城は築城400年を迎えた。所在地:熊本県熊本市(現地案内板より)
鞠智城 米倉
鞠智城 鼓楼
東アジア情勢が緊迫した7世紀後半(約1300年前)に、大和朝廷(政権)が築いた山城。663年の「白村江の戦い」で唐・新羅の連合軍に大敗した大和朝廷(政権)が日本列島への進攻に備え西日本各地に築いた城の一つで、九州を統治していた大宰府やそれを守るための大野城・基い城に武器・食料を補給する支援基地だった。
※『続日本紀』など、国の歴史書にも記載のある全国有数の重要遺跡として、平成16年2月27日に国史跡に指定。所在地:山鹿市菊鹿町(現地案内板より)
姫路城
静岡浅間神社楼門
静岡浅間神社、通称おせんげんさま。正確には、神部神社、浅間神社、大歳御祖神社の3社の総称である。
この楼門は神部神社・浅間神社の楼門で、文化12年起工、同13年竣工。総漆喰で、彫物には「水飲みの龍」「虎の子渡し」などがある。また、二層部分に「當國総社・富士新宮」の扁額が掲げられている。
所在地:静岡県静岡市葵区(現地案内板より)
金灯籠
和紙と糊だけで作る伝統工芸品です。山鹿灯籠まつりの時に頭にのせて踊っている金灯籠の灯はペンライトです。重さは180g。製作日数は3日間です。(現地案内板より)
矢壺灯籠
弓矢を入れる壺を現した燈籠。明りに浮かぶ、矢壺を飾った切り絵も見事です。(現地案内板より)
古式台灯
金燈籠が切り絵を施した台に載った燈籠です。(現地案内板より)
金閣寺
正しくは鹿苑寺(ろくおんじ)といい、足利三代将軍義満が、応永4年(1397年)に造営した山荘、北山殿を母胎に成り立っており舎利殿金閣が有名。鹿苑の名は、お釈迦様が初めて説法されたところの地名鹿野苑に因んだ開基(創設者)足利義満の法号鹿苑院殿によるもの。所在地:京都市北区金閣寺(現地案内板より)
座敷燈籠
伝統的日本家屋を造った燈籠。二階建てと離れがあり、床の間、障子などの細かい細工をご覧ください。(現地案内板より)
座敷燈籠
八千代座内部
八千代座は江戸時代の芝居小屋の姿を残した全国でも数少ない貴重な文化遺産である。ます席、桟敷などの客席構成と、人力の回り舞台、花道、すっぽんと呼ばれるせりなどの舞台機構は日本の伝統的な形式を伝えている。明治43年建設、同44年こけら落としの歌舞伎が上演されて以来、昭和48年頃まで多くの芸能人、演奏家が八千代座の舞台を踏んだ。
面積:1階340坪、2階115坪、奈落24坪 定員:1009名 総工費:20,951円78銭8厘(現地案内板より)
山鹿傘
山鹿はかつては和傘の西日本一の生産地でした。骨が太く長持ちすると評判の山鹿傘が甦りました。
来民うちわ
来民の渋うちわは約360年の歴史があり、来民は、かつて京都、丸亀とともに日本三大産地のひとつに数えられていました。この渋うちわの特徴は、和紙の部分に柿渋を塗るので、和紙が丈夫になり、次第に色合いが深みを増すとともに防虫効果も果たす点です。現在も数名の職人が白壁土蔵造の町屋を作業場として昔ながらの伝統技法を守り製作を続けています。
鶴田一郎氏原画
山鹿灯籠まつりのポスターは毎年、熊本県出身(熊本県本渡市本渡町広瀬で生まれる)の鶴田一郎氏が手掛けられています。
双竜浄玉(竜の天井絵)
細川藩のお抱え絵師であった狩野洞容[山鹿市南島、天保9年(1838年)没]の作。殿様の入浴に使われる御前の湯の天井絵として描かれた。「竜の湯」は別称で天井絵を構えた後に呼ばれるようになったと考えられているが、すでに宝暦13年(1763年)の山鹿湯町絵図にも登場している。玉のまわりを2匹の竜がまわるめでたい構図であり、山鹿温泉祭ではこの湯を前に読経する儀式があった。(現地案内板より)
棟札
紙の匠 燈籠師
毎年神社に奉納される山鹿灯籠は卓越した技術を持った7名の燈籠師によって1基約300~400時間をかけて製作されます。
燈籠師:徳永正弘・中島清・村上勝徳・中島光代・牛島富士子・今村時子・畠山慶司(現地案内板より)