九州旅・九州各地の温泉・四季・町並・歴史

豊前街道 南関御高札場跡

南関町にある、江戸時代、幕府や藩の法度類民衆に周知させるため、横長の板札に墨書して高く掲示していた場所です。

南関1

南関御高札場跡

所在地:熊本県玉名郡南関町
高札場とは江戸時代、幕府や藩の法度類民衆に周知させるため、横長の板札に墨書して高く掲示していた場所をいいます。

南関2

南関手永会所跡

寛永10年(1633年)に肥後藩独特の手永制が布かれ、南関手永会所が現在の南関町公民館の敷地に置かれました。

南関3

南関13

南関4

豊前街道南関御茶屋跡

南関御茶屋は、嘉永3年(1850年)8月に起工して、嘉永5年(1852年)正月頃に完成したもので、藩主が参勤交代する時や領内巡視の際に休憩、宿泊しいた公館です。古文書によると、それまでの御茶屋(南関町公民館付近)が、古く狭い上に間取りが悪く、藩主休泊の時に混雑する、という理由でこの地に建て替えられました。財源の一部には富講の売上金が充てられました。
 建物は、南北に長い造りで、北から御居間、御次の間、御三の間と配されており、屋根には細川家の九曜紋をあしらった鬼瓦や軒瓦が葺かれています。
 通常御茶屋と御客屋は別々に存在しておりますが、南関の場合はひとつの建物を御茶屋とも御客屋とも呼んでいたようです。南関御茶屋は熊本藩主細川家のみでなく、宇土細川家、人吉藩主相良家、薩摩藩主島津家も参勤交代の折にたびたび利用していることが記録に見えます。
 版籍奉還後、国の所有となった御茶屋のほとんどは、小学校や役場等の公的施設として利用されていきますが、その後の用途に応じた増改築等で御茶屋本来の姿を消していくことになります。南関御茶屋の場合は、明治20年代には個人の所有となり、「御茶屋跡」として大事にあつかわれ、民家や料亭として利用されました。昭和3年7月18日には南関町にゆかりの深い北原白秋の歓迎会がこの御茶屋で催されています。
 平成15年8月27日に国の史跡として指定され、同年より国・県の補助事業として保存修理工事に着手し、平成26年度末、往時の姿を取り戻すこととなりました。
国指定:平成15年8月27日
建物修理総事業費:約1億4千万円
指定地面積:1180.14平方メートル(365.99坪)
建築面積:252.43平方メートル(78.65坪)
床面積:204.45平方メートル(62.56坪) 南関町・南関町教育委員会(現地案内板より)

南関10

南関11

南関6

南関5

南関9

南関7

南関12

南関8


熊本一覧

  熊本  熊本城  黒川  阿蘇・小国
  天草・三角   人吉・玉名  山鹿・菊池