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坂の下御客屋跡

豊後街道 参勤交代の往還の途中、往時の旅人の休憩所の跡と言われています。

坂下お屋敷跡1

所在地:熊本県阿蘇市車帰字坂下636-1

坂下お屋敷跡2

豊後街道は、江戸時代の参勤交代時代に江戸へ行く最短のコースとして整備された重要街道でした。熊本城を出発し大津で第一夜を明かされた藩主の一行は、高尾野、新小屋などを経て二重の峠で休憩した後、石畳の坂道を下り的石御茶屋で昼食をとられ、次の宿泊地である内牧を目指されました。

坂下お屋敷跡3

このお客屋跡は、往時の旅人の休憩所の跡と言われています。お客屋の敷地の考えには、石垣が築いてあります。(現地案内板より)

坂下お屋敷跡4

坂下お茶屋跡

坂下お屋敷跡5

坂の下お客屋跡

坂下お屋敷跡6

参勤交代の道

江戸時代の街道は、商人による物資の輸送、遊学、寺社参詣などの旅人の通行路となったのはもちろんですが、何よりも大名の参勤交代や瀑布の巡検使の諸国視察などのために整備された歴史があります。
 54万石の細川藩の場合、参勤交代の人数は、少ないときで600人、多いときには、2700人にもなりました。
 参勤交代の行列は、江戸から東海道を下り大阪に出て、そこから海路 瀬戸内海を通り、大分県の鶴崎に上り、再び陸路で野津原、久住(鶴崎、野津原、久住は肥後藩飛び地)を通り、大利(産山村)坂梨(旧一の宮町)内牧(旧阿蘇町)を経て、的石に出て、二重峠を越えました。
 ここ坂の下から、二重峠までの道は険しく、また、火山灰土であるために、雨が降るたびに道路がいたみます。そのために、九十九折れの旧坂の道に石畳が敷き詰められています。
 石畳には「岩坂村つくり」と刻まれた石が残っていますが、岩坂村(大津町)はここから12キロ(3里)離れた村で、この道つくりに広範囲の村々から農民がかりだされたことを物語っています。
 入念に敷き詰められた石畳を歩くと、農民の苦労が偲ばれます。この石畳を登り詰めると、はるかに熊本を望むことができます。江戸から300里の道程を振り返り、帰国の喜びを噛み締め、石畳を踏みしめて登ったことでしょう。 文化庁・阿蘇市(現地案内板より)

坂下お屋敷跡7

参勤交代の檜

檜に杉が宿った老木で、樹齢は約500年と伝えられています。樹高役28m、根囲約3.8m。
裏の観音堂には十一面観音立像外一躯が祀ってあり、背面に「文政八酉念(1825年)6月11日 彩色 阿蘇坊中」とあります。(現地案内板より)

坂下お屋敷跡10

歴史の道 豊後街道 参勤交代の道(往還)

杉の木立に囲まれた石畳

坂下お屋敷跡11

二重峠の石畳

二重峠(ふたえのとうげ)


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