的石御茶屋跡
この御茶屋跡は、肥後藩主が参勤交代に使った豊後街道の通過地点で、大津を経った殿様が一行が二重の峠を越え、石畳の坂道を下りてきて休憩昼食をとった所です。
所在地:熊本県阿蘇市的石
屋敷内は、今も当時の面影を偲ばせ代々御茶屋番を勤めた小糸家は現当主で、13代目です。
屋敷内には、北外輪山からの伏流水で泉水が形づくられ、御茶屋泉水として、くまもと名水百選に選ばれています。
伏流水で形づくられた泉水
池には紅葉が映っていました。
豊後街道は、江戸時代の参勤交代時代に江戸へ行く最短のコースとして整備された重要街道でありました。熊本城を出発し大津で第一夜を明かされた藩主の一行は、高尾野、新小屋などを経て二重の峠で休憩したのち、石畳の坂道を下り的石御茶屋で昼食をとられ、次の宿泊地である内牧を目指されました。
的石御茶屋は、元禄10年2月に小糸次右エ門忠経の屋敷を御茶屋と定め、改築の上御茶屋番に任じられ、その後代々御茶屋番を勤めましたが、明治5年の廃藩置県により御茶屋を廃止され、そのまま小糸家の住居となり、現代に及んでいます。細川藩の参勤交代のための大津、内牧、坂梨などの御茶屋跡は、既に昔を語るものはほとんどなくなり、的石御茶屋跡だけが、昔日の面影を残しています。(現地案内板より)
小糸家のコウヤマキ
この高野槇(こうやまき)は、幹周:約3.1m、樹高:約35m、推定樹齢約300年の巨木で、細川綱利公お手植えと伝えられ、町指定天然記念物に指定されています。
石畳