酒杜の水・白雪の水・清水
酒杜の水、白雪の水、清水、味彩の水、阿吽の泉、幸の泉、和実の雫、実の水、各々美味しい湧水です。
酒杜の水
以前は造り酒屋だった酒屋さん、リカーショップいでの店先にあります。
的場水天龍王尊と石に刻まれていました。
酒杜の水で氷を作ってお酒に入れると、悪酔いしないそうです。
羽衣の話
新彦神が田鶴原の池あたりを歩いておりました。ふと歩みを止め、池に近づくと、色とりどりの羽衣が木の上にかけてあり、三人の乙女が水あそびをしていたのです。「天女の羽衣をかくしたらどうなるだろう」とうとう羽衣の一つを隠してしまったのです。
やがて、天女たちは羽衣がないのに気づきました。とうとう一人の天女を残して、あとの天女達は天に帰っていきました。残された天女はその愛くるしい瞳から大粒の涙を流しながらいいました。「どうか私の羽衣をお返しください。羽衣がないと帰ることができません。」新彦神は、すっかり天女の美しさのとりこになり「私の妻になってはもらえませんか」と何回も頼みました。むすめも今となっては天にも帰れず、彼の願いを聞き入れたのです。
二人のくらしもいつしか時は過ぎ、幸せな毎日のように思えました。天に帰ることなんか忘れてしまったものと、彼は安心していました。新彦神がつい口ずさんでしまった子守歌「汝が母の羽衣は 千把こづみのしたにあり」妃は、この歌を聞き逃さず、「恋しくば たずねござれや 宮山へ」そういい残すと、天女の姿に戻った妃は飛び去ってしまったのです。(現地案内板より)
白雪の水
お菓子屋さん「阿蘇和菓子 向栄堂」のすぐ近くにある白雪の水は、そのお菓子屋さんの銘菓「阿蘇乃白雪」にちなんで命名されたそうです。
阿蘇和菓子 向栄堂
旧店名は菓舗さとうです。白雪の水で淹れた珈琲もお勧めです。写真は鯉の形の落雁です。
白雪の水
ナバの泣きぜきの話
ナバん話ばしゅうたい。
「ナバ」ちゅう、しこなの男が、竹原へんに住んどった。なし、ナバちゅうか知っとるかい。男んおっかさんが死なした日のこったい。男は悲しゅうて山ん中に入ってワーンワーン泣きわめいた。
ここなら誰にも遠慮もいらん。泣きながら、杉の木にもたれかかるとドドドドッ、根こそぎ木が倒れてしもうた。泣くと力がでてくるなんて不思議なこった。見渡すとえのきの根かたに、ナバがたくさん生えとった。男は、そんなナバを木ごと、スポンと引っこ抜いて家に持って帰った。そんな話を聞いた村んもんな、男んことうば、ナバナバと呼ぶごつなったてたい。ナバは泣くたびに力が出てくる。ナバに仕事ばたのむとワーン、ワーン泣きわめきながら力をだしたつばい。
鹿漬川にせきをつくる時の話たい。
村んもんは総出で川ばせきとめようとしたばってん、流れのはげしゅうしてうまくいかん。ナバは大きな石を小嵐山から拾ってきて、どっかとすえつけた。次ん日、川に行って見ると、ふしぎなことに石は山ん上に戻っとった。ナバは泣きながら何回でん石を運んできたばってん、とうとう、あきらめてほかの石にかえたちゅうこったい。そん石は今でん小嵐山の上に腰をすえとるげなたい。ナバの泣きぜき、ナバの泣き石ちゅうのがこのこったい。そんなら、またね。[「ナバ」とはしいたけのことです](現地案内板より)
清水
清水(せいせん)は、生鮮を扱うお店の方が管理されています。
鬼八法師の話
健磐龍命は、毎日弓のけいこ。往生岳・杵島岳にお出掛けになる。「鬼八、馬を引け!」鬼八は家来の中でも抜きんでて足の速い男だったげな。
命は、山のてっぺんから、的石めがけていかけるんじゃ。「鬼八、とってまいれ!」さすが鬼八、自慢の足で的石めがけそれこそ矢のように走っていき「命、取って参りました」「ようし、いまひと矢いくぞ」続けざまに99本、そのたびに、たんびに鬼八法師走りに走ったんじゃ。何回でん取りにやらされ、怒った鬼八は百本目の矢を足の指にはさんで投げ返した。矢は運の悪いことに命のももの突き刺さってしもうた。
「鬼八待てえ、成敗してくれる…」鬼八は、とうとう倒されてしまった。
阿蘇谷のちょうど真ん中、役犬原に霜の宮という社をたてて鬼八法師の霊をなぐさめられた。
霜の宮の火焚き所には、今でも幼い女の子が55日間火を絶やさぬよう、おこもりを続け鬼八の霊をなぐさめているんじゃよ。(現地案内板より)
つるや旅館
味彩の水(あじさいのみず)は、つるや旅館の前にあります。
味彩の水
味彩の水(あじさいのみず)
阿蘇千年の湧水
太古、阿蘇山の大噴火により造成されたこの大カルデラの溶岩層の下に貯えられた豊富な地下水は、今千年の永い眠りから目を覚まし、この神域に滾々と湧き出ています。
清冽なこの名水は、美味芳醇な神水として珍重され「不老長寿の霊泉」として多くの人々に愛されております。
つるや旅館 主人敬白 (現地案内板より)
不老長寿の霊泉といわれています。
田のかあさも見守っています。
綺麗なお花が植えられていました。
阿吽の泉
阿吽の水は、守り神が飲む水をイメージして命名されたそうです。
阿吽の泉は木村写真館の前にあります。
矢村社と矢島
健磐龍命は、阿蘇谷の水を流し出し、豊かな田畑をお開きになりました。この後、ご自分の屋形を決めるため手野の高みから空高く矢を放ったのです。矢は、南の方へ飛んでゆき、屋の落ちた所を宮居と定め、命の本拠地となったのです。屋形のまわりには、家々が集まって建ちました。そこが矢村です。ここを中心に村や町ができていきました。
命の放たれた矢がまつってあるといわれる矢村社の隣の今村は、今すぐ村ができたというので付けられた名前だといいます。
命は、二番目のお子誕生の時にも矢を射られ、坂梨の矢島に矢が落ちました。その南側の平地の阿蘇津媛の産所を設けられ、ここを産の平といいます。産さんよと呼ばれる産土神社には、お乳がたくさん出ますようにと、お祈りする人達が今でも後を絶たないといいます。
今では、馬場部落の人々が社を守っておられ、神石、高城、浄土寺、木喰仏、大山寺跡などと神話・伝説・歴史に関わる豊後街道歴史の道に沿って、昔を今に語り伝えているのです。(現地案内板より)
幸の泉
先代の幸男さんが手作りで作った水基だそうです。
速瓶玉命と国造神社の話
阿蘇神社から約6キロの所に国造神社という神社があります。北宮とも呼ばれ、健磐龍命の御子である速瓶玉命を主神として、お妃・雨宮媛命、第二子・高橋神、第三子・火の宮神が祀られています。
速瓶玉命は農業の神として、住民から大変親しまれています。父とともに阿蘇の開拓につくされたといい、田に水を引くことや、牛馬の生育に努め、農業をおこしたと伝えられているのです。
崇神天皇の時、阿蘇国造(くにみゃっこ)に任ぜられます。
国造神社の境内には、国指定の天然記念物「手野のスギ」があります。幹の周りが11m、高さが48m、約1300年も生えてきた杉の木です。しかし、平成2年の台風で、地上11mの所あたりから折れてしまい、町では、この木を守るためにいろいろと手当てし、何とか生き返って欲しいと祈っているところです。(現地案内板より)
和実の雫
和実の雫(なごみのしずく)は、ばぁばの店(おもちゃのくろかわ)の店先にあります。
田のかあさが見守っています。
実の水
つるや旅館の向かいの駐車場の一角にあります。