垂玉温泉 山口旅館
平成28年熊本地震の影響で、山口旅館は現在休館しています。お見舞い申し上げますとともに復興をお祈りいたします。
所在地:熊本県阿蘇郡南阿蘇村河陽2331
金龍の滝のまん前にあります。
今から二百数十年前には、この地には、「金龍山・垂玉寺」があったと伝えられています。垂玉温泉は、修行者によって発見された温泉です。
山口旅館の玄関先には赤い郵便ポストがあり、玄関の軒下にてるてる坊主が下がっていました。
五足の靴碑
北原白秋、木下杢太郎、吉井勇、平野万里、与謝野鉄幹一行が明治40年(1907年)8月13日に山口旅館に訪れた時のことを後に旅行記「五足の靴」に綴りました。滝があり、石垣の上に建つ、山口旅館を見て抱いた印象などが記されています。
≪五足の靴記念碑碑文≫
明治四十年(1907年)夏、若き日の北原白秋、木下杢太郎、吉井勇、平野万里、与謝野鉄幹の五人が九州旅行した折、長崎―天草―熊本を経て阿蘇登山の道すがら、同年八月十三日当館に宿泊した。
この九州旅行の旅行記『五足の靴』は『五人づれ』の匿名で当時の東京二六新聞に連載されていたものを、昭和二十四年に至り、野田宇太郎氏が『パンの会』に収録して世に紹介された。浪漫に満ちたこの紀行文は、南蛮文学の源泉として近代文学の中で新しい文芸運動の契機となった貴重な遺産といわれている。
『五足の靴』の中で一行の五人は当時の旅館のたたずまいを、「後に滝の音面白き山を負ひ、右に切り立ての岡を控え、左の谷川を流し、前はからりと明るく群山を見下し、遥かに有明の海が水平線にひかる。高く堅固な石垣の具合、黒く厳しい山門の様子、古めいた家の作り、辺りの要害といひ如何見ても城郭である。天が下を震はせた昔の豪族の本陣らしい所に、一味の優しさを加えた趣がある。名もいいが、実に気に入った。」と感嘆している。
当時の旅館の当主は三代目山口廣記であった(碑文より)
滝の湯
金龍の滝の近くにある宿泊者専用の混浴露天風呂です。
残念ながら、滝の湯は地震の被害で埋まってしまったそうです。
滝の湯は、60メートルの岩山から落ちる豪快な金龍の滝の滝壺に位置しています。滝の音を聞きながら、四季折々の自然の美しさを堪能しつつ、温泉を楽しむことができます。特に秋の紅葉の頃は素晴らしい景色を楽しむことが出来ます。
混浴ですが、女性は湯浴み着(ゆあみぎ)を準備して下さいますので、ゆあみ着を着用して温泉に入ることができます。湯口から落ちる湯に肩や腰をあてると「打たせ」の効果があります。
豪快な金龍の滝、その滝壺にある滝の湯、自然との調和が楽しい様々な湯船、素晴らしい自然に囲まれた山口旅館、趣がある建物、滔々と湧き出る垂玉の名水、平成の現在も「実に気に入った」と言いたくなる所です。
滝を眺めながら温泉を楽しむ。至福の時です。
垂玉温泉の由来
この温泉は、今から二百数十年前この地にあったと伝えられる「霊山阿蘇」三十六坊の末寺「金龍山 垂玉寺(すいぎょくじ)」の修行者たちによって発見され、以来今日まで、その湯量の豊富さと質の良さとで永く親しまれてきました。
泉源は、当館の背後にそそり立つ岩山(金龍山)から流れ落ちる金龍の滝の滝壺にあり、阿蘇五岳の一つ烏帽子岳(えぼしだけ)山系の地下水が地熱によって温められ岩盤の割れ目から湧き出し、永久に絶えることはありません。
泉質と温度:単純硫化水素泉 源泉温度55℃
主な適応症:慢性関節リウマチ、慢性筋肉リウマチ、神経痛、神経炎、糖尿病、慢性皮膚病、慢性婦人科疾患、疲労回復
湯口から落ちる湯に肩や腰をあてると「打たせ」の効果があります。(現地案内板より)
山口旅館の館内のあちこちに、垂玉の名水が湧き出ていました。垂玉の名水は、温泉三昧の途中に、気軽に飲むことができます。まろやかで、美味しい湧水です。
垂玉の名水
当館の北側の山「金龍山」の山腹には、天正年間、この地の領主であった長野越前守惟久が、島津軍との戦いに敗れ、追手を逃れて家臣と共に潜んだと伝えられる「千人隠れの岩」があります。
この水は、その屏風岩から浪々と湧き出る石清水で、四季を通じて変わらぬ冷たさと、ミネラル分を多量に含んだまろやかな味わいを有し、阿蘇の大自然の恵み豊かな「名水」です。[館主](現地案内板より)
水槽の中にエノハかヤマメが泳いでいました。
新緑の時期の清々しさ、紅葉の時期、冬は水墨画の様な景色を楽しめます。