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阿蘇神社 楼門

平成28年熊本地震にて、阿蘇神社の楼門と拝殿が倒壊し、三つの神殿も大きな被害を受けました。お見舞い申し上げますとともに、復旧をお祈り申し上げます。

楼門1

所在地:熊本県阿蘇市宮地3083-1
JR豊肥本線宮地駅から徒歩約15分
駐車場は、楼門の手前の左手に無料駐車場があります。そこが満車の時は手前の阿蘇一の宮門前町の有料駐車場もあります。
但し、神事が行なわれている時は大変込み合います。

楼門2

阿蘇神社楼門

阿蘇神社の楼門は、日本三大楼門にも数えられる珍しい二層式の楼門です。
楼門は三間一戸二階二重門で、高さは約21mあり、細部には様々な彫刻が施され、壮大で美しい楼門です。
屋根は建立当初は柿葺でしたが、大正6年に檜皮葺、昭和50年に銅板葺となりました。

楼門3

阿蘇神社の大楼門

この建物は、江戸末期の嘉永2年(158年前)復興、再建されたのです。様式は、十二脚唐門、上層両妻づくり、下層四方卸し、唐破風付けなどのむつかしい用語で記録されていますが、俗に、二層楼山門式と呼んでいます。
高さは七十尺(約21m)
お宮の楼門として二階づくりはユニークであり、これは仏教の影響とも考えらます。
スケールは豪壮にして優美、全体に繊細な技術工夫がなされており、今では珍しくなった木造の楼門建築の粋をこらした貴重な文化遺産と申せましょう。
正面の「阿蘇神社」の大きな額は、有栖川熾仁親王の御染筆です。
(現地案内板より)

楼門6

「阿蘇神社」の大きな額は、有栖川熾仁親王の御染筆です。

楼門8

楼門から拝殿

楼門7

阿蘇神社の神紋

阿蘇神社の神紋は「違い鷹」です。鷹の紋は武威を象徴し武家に多い紋です。阿蘇修験の山伏が配った呪術的な牛王法印にも鷹の姿が描かれていたといいます。また、菊池氏や菊池神社のならび鷹は、阿蘇違い鷹をアレンジした物と言われます。
私の実家の家紋は阿蘇神社の違い鷹を一重の丸で囲んだ、丸に違い鷹の羽です。阿蘇に遊びに行く途中、阿蘇神社の神紋が違い鷹と知り、それがきっかけで阿蘇神社に興味を持ち、色々調べてみるきっかとなりました。違い鷹の羽の家紋は九州ではかなりポピュラーな家紋で、よく見かけます。

楼門14

横参道

阿蘇神社は古くから肥後一の宮として崇敬され、境内正面に楼門、その左右に神幸門と還御門を構え、その後方に一の神殿と二の神殿及び三の神殿があり、左右対称の境内を構成しています。

楼門19

阿蘇神社は、全国でも珍しい横参道であり、この参道に向かって二層式の楼門が建っています。神社には珍しい様式で、俗に二層楼山門式といいます。威風堂々とした荘厳な感じの構えの建物です。
神殿の回りは、イチョウ、ケヤキ、杉などの巨木が鬱蒼と茂り、神殿の回りを取り囲むように巨木が空に向かって伸びています。

楼門15

向かって右から神幸門、大楼門、還御門です。
楼門は三間一戸二階二重門、神幸門と還御門は四脚門形式です。いずれも軸部や組物などに波頭紋や雲紋の華やかな彫刻が施されています。

楼門18

神幸門

嘉永元年(1849年)造営

楼門20

この神幸門(みゆきごもん)は例祭(七月二十八日)の日、四基の御神輿(おみこし)その他供奉(ぐぶ:おとも)の行列三百余人が出発の時に使用される。したがってこの門は、年に一度だけ使用の珍しい御門であり、これは皇居の制にならったと伝へられる。(現地説明板より)

楼門21

還御門

嘉永元年(1849年)造営
還御門(おかえりごもん)は、例祭(7/28)の日四基の御神輿その他供奉(おとも)の行列、三百余人が到着の時使用される。したがって年に一日だけ使用の珍しい御門であり、これは皇居の制にならったと伝えられる。(現地案内板より)

楼門9

横参道

楼門13

楼門16

楼門17

楼門10

楼門11

楼門4

楼門5

楼門12


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