熊本城・東十八間櫓・北十八間櫓・五間櫓
熊本城の石垣の上には平屋の櫓が築かれ、その長さや管理した人物の名などが付けられています。
熊本城本丸内東竹の丸には、高石垣の上に西南戦争の火災にも焼け残った櫓が建ち並び、国指定の重要文化財に指定されています。
※平成28年熊本地震にて熊本城及び諸櫓も甚大な被害を受けました。これらの写真は震災前の写真です。
東十八間櫓
ちなみに熊本城では長さを現す単位「一間」は6尺5寸=約197cmとされています。ということは、十八間は、3546cm、つまり35.46mもあります。
熊本城が築城された慶長年間(1596年~1614年)は、櫓が49、櫓門が18、城門が29そびえていたが、明治10年(1877年)西南戦争勃発直後の火災により大半を焼失した。現在、熊本城には焼失を免れた13の建造物があり、国の重要文化財に指定されている。櫓は武器、武具などの倉として使用され、戦時は兵の駐屯所にも当てられた。
熊本市(現地案内板より)
東十八間櫓
東十八間櫓
左が東十八間櫓、右が北十八間櫓
東北の隅にある東十八間櫓と北十八櫓は、20mにもなる城内屈指の高石垣の上に建っています。
北十八間櫓・五間櫓
左が北十八間櫓、右が五間櫓
北十八間櫓
手前が北十八間櫓
手前が北十八間櫓
右が北十八間櫓
右が北十八間櫓
五間櫓
右側が五間櫓、左側は北十八間櫓
五間櫓 国指定重要文化財
1877年の西南戦争でも焼失を免れた五間櫓ですが、2004年の9月の台風21号では、白壁の一部が剥がれました。台風の強い横殴りの雨が白壁に染みこみ、水分の重さで白壁が、縦・約50cm、横・約2mに渡って剥がれ落ち、修復工事をしました。(現地案内板より)