熊本城・飯田丸五階櫓
加藤清正の重臣、飯田覚兵衛が管理していたことから、飯田丸と呼ばれるようになりました。
※平成28年熊本地震の影響で、飯田丸五階櫓は
飯田丸五階櫓
熊本城南面防衛の要です。平成17年に復元されました。櫓と塀で囲い込まれ、内部には井戸や台所、鉄砲蔵までも設けられていて、小さなお城の天守閣の機能を持つほどの規模と機能がある五階櫓です。
平成21年放送のNHK大河ドラマ天地人の撮影が飯田丸や二様の石垣などの場所で行われました。プロデューサーが「秀吉の大きさを出すには、スケール感のある場所が必要だった。」ということで、熊本城をロケ場所に選んだそうです。
飯田丸は、加藤清正の重臣だった、通称・飯田覚兵衛、本名・飯田直景(いいだなおかげ)の守備担当場所だったことから、飯田丸と呼ばれるそうです。飯田直景は、加藤家三傑の一人であり、日本槍柱七本の一人でもあります。
ちなみに、日本槍柱七本は豊臣秀吉によってその槍働きを賞賛された七人で、日本七槍とも云います。小野鎮幸・本多忠勝・島津忠恒・後藤基次・直江兼続・飯田直景・吉川広家の七人です。
加藤家三傑とは、飯田直景・森本儀太夫・庄林隼人の三人です。
桜と飯田丸五階櫓
熊本城内の大楠
推定樹齢約800年といわれる大きなクスノキが飯田丸五段櫓の近くにあります。大きく広くどっしりと根を張り、太い幹が上の方まで続いています。
幹周囲:10m・樹高:30m
大楠
桜と飯田丸五階櫓
飯田丸のフクロウの埋木
埋木(うめぎ)とも埋め木とも書くことがあります。また、埋木細工とも呼ばれています。木の割れ、節穴、加工ミスなどを補修するために入れる木片のことや、木材の節穴をふさぐ工法のことを埋木と呼びます。
飯田丸のふくろう
さらに、この飯田丸の大きな梁のフクロウの埋木には、とっても素敵なお話があります。飯田丸五階櫓の案内をしてくださった方が教えてくださいました。
飯田丸五階櫓の復元工事の際に、樹齢800年とも云われている楠木に住んでいたフクロウが工事の音に吃驚して飛び立って行ったそうです。
フクロウが飛び立った日に、丁度このフクロウの埋木が施されている梁をあげる工事がありました。その時その梁からコロコロっと木の節が転げ落ちたそうです。そこで大工の棟梁が、工事の音で飛び立ったフクロウに申し訳なかったので、ここに自分がフクロウの隠し彫りを残そうということで彫られたものだそうです。
その棟梁の粋な計らいと優しさと腕のよさに脱帽です。フクロウさんは未だ帰ってきていないそうですが、いつかふら~っと帰ってきてくれますように。
大きな梁にフクロウの埋木
手斧はつり
こちらの大きな梁の表面に鱗状の削り跡が見えます。これは手斧はつり(ちょうなはつり)と呼ばれる技法です。
ちょうなはつり
ちょうな跡が残る柱
大きな柱と梁
廊下
狭間が設けられている「武者走り」と呼ばれる廊下。戦時に甲冑を着けた武者が走っても、楽にすれ違う事ができます。廊下の幅は、6尺5寸(1間)です。櫓の1間寸法は1m97cmです。(現地案内板より)
石落し
鉄砲狭間
鉄砲狭間
窓
屋根瓦
石垣
こちらは本丸御殿の縁側(濡れ縁)にあります銀杏の葉の形の埋木です。別名銀杏城の熊本城に相応しい埋木です。ここにも、匠の技と匠のセンスが光っています。
飯田丸以外の場所でみつけた埋木
熊本城内には、おそらく他の形の埋木もあると思います。